Photo:PIXTA
ブランドは、名前とロゴで決まる。明治製菓、文明堂、江崎グリコーーいずれも現在は広く知られる企業だが、創業当初は無名の存在だった。その後の成長を分けたのは、ネーミングとロゴに対する意思決定の違いだ。各社の歩みをたどると、その分岐点が見えてくる。※本稿は、作家の友利 昴『明治・大正のロゴ図鑑 登録商標で振り返る企業のマーク』(作品社)の一部を抜粋・編集したものです。
明治グループが「東京菓子」という
社名だった頃の会社ロゴマーク
同書より転載
今は使われていないが、これぞ、乳製品や菓子などの食品大手、明治グループの最初のロゴマークだ。
当初の社名は「東京菓子」で、中央の記号はその頭文字の「TK」である。
その創業は大正5年(1916年)。そう、「明治」が設立されたのは意外にも明治時代ではなく、大正時代に入ってからなのだ。これがなぜ、前元号の「明治」を名乗るようになったのか。
東京菓子は東京・日本橋を拠点としていたが、同じく東京・麹町に「大正製菓」という製菓会社があった。
東京菓子は、大正6年(1917年)に同社を吸収合併。この大正製菓の親会社が、明治39年(1906年)創業の「明治製糖」という会社だった(現・DM三井製糖)。







