実際、ネット空間での振る舞いを見てみれば、私たちはあまりに多くの「決定」を他者に委ねていることがわかる。

 目的地への経路、読む記事、聴く音楽、買う商品、果ては「好きになる人」さえも。マッチングアプリは、顔の好みや会話の傾向まで学習し、「相性の良い相手」を推薦してくれる。

 けれども、それは果たして「私の意志」なのだろうか?それとも「システムが推測した私の欲望」なのだろうか?

 このようにして、“私が選んでいる”と思っていたものの多くが、実は「選ばされたもの」である可能性が浮上してくる。

 何かを選択するにしても、SNSを検索し、社会的多数の意見に無意識のうちに迎合するようになり、AIが判定した最適解を求めるようになる。そうなると、私という「自己」が信じている思考や概念は本当にあなたの経験や人生、そして個性を反映してつくられたのだろうか?

 ネットの情報を取り入れて、他者がどう考えるかを基準にしているにもかかわらず、自分で判断したように錯覚してはいないだろうか?

 選択肢の提示も、スクロールやスワイプも、視線のとどまりやすさも、あなたをスマホの画面にくぎ付けにするべく最適化されている。

 そして、SNSからの情報をもとに、他者の好みや視点を常に気にしながら行動を選択している。その中で私たちは、自分の判断だと錯覚しながら、導かれた未来に向かって歩いている。

 あなたの自己意識とは、本当に私たち自身なのか?それとも、「私の意識」という顔をした外部システムの投影なのか?

『意識の正体』書影意識の正体』(櫻井 武、幻冬舎)

 この問いは、近い将来、私たちがAIや脳――機械インターフェースと融合していく中で、さらに深刻なものとなるだろう。

 もし、意識とは外界との接続によってつくられる“仮想の私”だとすれば、その接続先を他者が設計した瞬間に、本当の「私」は静かに消えていくかもしれない。

「自由意志」の根拠さえも揺らぎ始めるこの時代において、私たちは意識をもう一度、内側から取り戻すことができるだろうか?

 それは、世界を“選ばされる”のではなく、“見に行く”という意志の再起動なのかもしれない。