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通勤の道順や趣味、そして好きになる人など、私たちは日々数えきれないほどの選択をしている。それらはすべて自分の意志で決めたと思いがちだが、最新の研究で、多くの選択や行動を意識下で決定していないことがわかってきた。なぜ「自分で選んだ」と錯覚するのか?「意識」という、生命科学最大の謎に迫る。※本稿は、筑波大学教授の櫻井 武『意識の正体』(幻冬舎)の一部を抜粋・編集したものです。
スマホを見ながらでも
歩けてしまうワケ
気がつくと、降りるはずの駅をとうに過ぎていた。慌てて路線図を確認し、引き返す電車に乗り換えながら、頭の片隅に妙な感覚が残る――“あの時間、自分はどこにいたのか?”
眠っていたわけではない。スマートフォンを操作し、社内チャットに返信すらしていた。それなのに、いくつ駅を通過したのか、隣に誰が座っていたのか、停車駅のアナウンスもまるで記憶にない。
こうした経験は、多くの人がもっているはずだ。私たちは「目を開けている=意識がある」と信じている。眠っておらず、会話もでき、作業もこなしている――だから当然、行動はすべて意識の管理下にあると思い込んでいる。
だが、実際にはそうではない。
私たちの行動は、すべて明確な意識下における自由意志に基づいて選ばれているのだろうか?
私たちは1日に数万回もの選択をしている。朝食に何を食べるか、どこから食べ始めるか、駅の改札でどこのゲートを通過するか、駅のベンチのどこに座るか、仕事の合間にいつ休憩を取るか――多くの人は、そのひとつひとつを、「自分の意志で決めた」と信じているだろう。







