サラリーマンでありながら海外の映画祭でグランプリを受賞した長久允氏。その思考法と脚本術を存分に伝える『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室』が発売となりました。佐久間宣行さん、ラランド・サーヤさんも大絶賛の同書から、抜粋・再構成して特別公開します。

脚本の教室Photo: Adobe Stock

誤魔化しはバレる

 私の脚本は、すべて私が思っていることで構成されています。

 自分が責任を持ってしゃべれる内容を俳優さんに発してもらっているという状態です。

 大人に対して、絶望に対して、お金に対して、性に対して、社会に対して、生きるということに対して、私が思っている本当のことしか書いていません。

 そこにカッコつけや誤魔化しがあると、バレてしまう、と感じています。

 そしてその状態に慣れると、自分の気持ちや、自分にしかできないことからどんどん遠ざかってしまうのです。

本当に思っていることしか書かない

 私は新卒から10年以上、広告代理店で朝から晩まで働いていました。

 そんな中でもやりがいはあったし、クライアントさんは喜んでくれてるし。そう自分で自分に言い聞かせて働きました。

 ですが、体調を崩したあるとき、自分にはもっと表現したいものが別にあったはずだ、と思い出せたのです。

 そうして映画を作るようになったので、私の映画を観た友人には、こんな感想を言われます。

「お前がずっと2時間しゃべり続けてるようで、恥ずかしくて観てられなかった」

 そりゃそうなのです。
 私が本当に思っていることしか書いていないので。

やりたいことをやるべき

 そういう意味で、「脚本を書く行為」は、本当に「恥ずかしい」ものです。自分の人生観や倫理観や哲学が露呈します。

 告白する方法から、人を裏切った経験まで、すべて丸裸になるということです。

 まともな人間のやることじゃない。と思う反面、だとしても、そんなこと気にせず、みんなやったほうがいいとも思うのです。

 みんな恥ずかしければ、恥ずかしいという概念がなくなるわけですから。

 というか、恥ずかしさなんて忘れたほうがいいと思います。麻痺させたほうがいいと私は考えます。

「恥」はありのままの自分を隠す行為です。他者からのジャッジに怯える心です。

「恥ずかしい」と考えて、斜に構えて、踊りたいのに歌いたいのに描きたいのに、踊らずに歌わずに描かずにいた時間は無駄だったと今ならわかります。

 誰かの冷笑は無視をしましょう。そいつはセンスがない、ただの意地悪です

 やりたいことをやるべきなのです。

「恥」は捨てる。丸裸になったらいいのです。
 笑う奴が間違ってる。