つまり、やる気がでないから「練習できない(can not)」のではなく、パフォーマンスを高めるために練習に取り組みたいと本当は思っているのに、うまくやり遂げる自信がない、あるいは失敗して叱責(しっせき)されたり貶されたりしたくないという気持ちから、困難や挑戦と向きあうのを回避するという目的のために「練習しない(will not)」ことを自分自身が選んでいるのです。これが、目的論の立場をとり、かつ個人の主体性を重視するアドラー心理学における「やる気がでない」の考え方になります。

 そして、自分が練習しないと決めた上で、できない理由をセッセと作りだしているにすぎないのです。できない理由を使って言い訳し続ける限り、その困難や挑戦に向きあわないですみます。取り組みさえしなければ、うまくいかずに自信を失うことも、失敗して他者からの評価が下がることも当面の間は起こらないため、ある意味で居心地良く過ごすことができてしまうのです。

「できるかどうか」よりも
「するかしないか」の選択

 このように、やる気がでないという状況は、取り組む必要のある課題を回避するための言い訳として作りだされた「結果」である上に、非建設的ながらも自分を守るために役立っており、「やる気をだすこと」にアプローチする従来のメンタルトレーニングだけでは、十分に対処できないことが往々にしてあったのです。

 大切なことは、「できる(can)」かどうかではなく、「する(will)」かしないかを自分で決めることなのです。初めに紹介した大谷選手の「できるか、できないかよりも、誰もやらないことをやってみたい。それが自分のモチベーションになっている」「160キロのボールを投げたい。もっとホームランを打ちたいという気持ちが全ての原動力になっていた」という言葉から感じるのは、たとえ「無理なんじゃないか」と思ったとしても、「誰もやらないこと」に挑戦する理想の自分や、「160キロのボールを投げたい」といった自分が望む未来へ近づく目的があり、「必要な練習をする(will)」を選択したのだろうということです。おそらく、大谷選手の心の中には、「やる気がでない」という言い訳が入り込む余地などなかったのではないでしょうか。