国民の負担増を食い止める
「たった1つの方法」
ひとつはこの詰んだ状況を国民として受け入れることです。これからはJRが断続的に値上げを発表する未来が来るでしょう。それでも国民としては「必要な出費だから受け入れる。安全な日常が継続されることが一番大切だから」と我慢をすることが大事です。
しかしもうひとつ提案があります。経営にはできないけれども、政府にはもうひとつやれることがあるのです。
そもそもなぜ地方路線が赤字なのでしょうか。理由はモータリゼーションです。地方の生活の足は鉄道ではなく車が担っています。働き盛りの世代であれば日常の足は車があれば成立して、地元の鉄道を使う機会は多くありません。
問題は地方には車で移動できない弱者が存在することです。中高生と高齢者。そのための足が鉄道以外に存在しないために、社会はJRに地方の足の責任を負わせてきました。これが現在の構造です。
ただその前提は10年後には変わります。ライドシェアと自動運転の解禁があれば、生活弱者の社会環境は変わります。
10年後、世界では自動運転のロボタクシーやロボミニバスが実用化されます。生活圏を運賃100円のミニバスが走っている地域がありますが、運転手のコストがかからなくなれば100円で運行できる地域は格段に広がるでしょう。
そもそも地方の生活圏では2~30分かけて300円程度の運賃で移動できる手段が他に出てくれば、生活弱者は鉄道でなくても生活が成り立ちます。
その自動運転が未来の技術だとすれば、ライドシェア解禁はそれまでのつなぎとして今すぐにでもできる政策転換です。
タクシーがほとんど存在しないエリアでは、ライドシェアを解禁しなければいけないほど地方の交通インフラは困窮していますが、いわゆるドミノ理論を恐れてライドシェアは牛歩でしか進んでいません。
ここが面白いところなのですが、地方の高齢者票が大切なはずなのに、なぜかライドシェアの話になると一部の抵抗勢力の意見が日本では通ってしまってきたのがこれまでの状況です。そこに公明の離脱で国交省が16年ぶりに自民党の手に戻ってくるという最初の前提変化が起きました。
近未来では地方の生活圏の足としては鉄道は不要になります。基本的に鉄道の役割は都市圏の輸送と、都市間輸送、つまり車だとちょっとつらい100km以上離れた遠くに出かける際の途中の移動需要だけに限られる未来が来るはずです。
そうなれば路線構造の変更は禁じ手にしなくてもよくなります。これはJR東日本よりも先に、地方のJR3社(北海道、四国、九州)が渇望する前提変化になるでしょう。
世界はその方向に変わろうとしているのに日本は保守的に変わってこなかった。イノベーションを受け入れずに成長を拒んできたのがこれまでの日本だったのですが、JRに関して言えばいまその政治態度が問われる事態が起きつつあるというのが今回の話の要点です。








