獣臭の不快な成分を「温かい小麦粉と肉汁の良い香り」として受け取れる寛容派の人々は、決して無神経なわけではなく、むしろ不要なアラートシステムを切り捨てる進化を遂げた人たちと言えるのかもしれない。
ここで、誤解無きよう申し上げておきたいのは、この論文をもって「豚まんの獣臭=アンドロステノンである」と単独犯として断定する意図はないということだ。
事実、アンドロステノンは主にオスの豚肉に含まれるが、日本国内で一般に流通している豚肉の多くは、このニオイを抑えるために去勢されている(農水省資料)。これは、日本の養豚業界や食品メーカーによる、とてつもない企業努力の証である。
それでも、アンドロステノンとOR7D4の関係は「豚まん論争」における対立の構造を解き明かす補助線となり得るはずだ。
マナー論では解決できない!
「すれ違い」の本質
特定の成分に対して遺伝子レベルで知覚の断絶が存在するという事実は、豚まん論争の構図を理解するための有力なヒントになるかもしれない。
同じ豚まんを前にして、片や情動系を刺激する獣臭に苦しみ、片や美味しい豚まんの甘い香りを享受する。
どちらかが大げさなわけではなく、そもそも脳に到達する信号の質が大きく異なっている可能性があるのだ。
もう一度強調するが、この知覚の断絶が量の問題(ニオイの強い・弱い)ではなく、質の問題(何のニオイを感じているか)である点こそが、すれ違いの本質である。
ニオイの感じやすさの話であれば、配慮や寛容さなどのマナーの議論でアプローチできるかもしれないが、そもそも嗅いでいるもの自体が違うかもしれないという前提を理解していなければ、解決どころか議論すらかみ合わないのだ。
これこそが「豚まん論争」における違和感の正体である。
ここまで読んだ豚まんの車内喫食否定派の人の中には「自分は周囲に配慮して、新幹線で食べるのを我慢している。だからこそ、平然と食べている他人が許せないのだ」と思われた方も多いだろう。
「豚まん論争」が平行線をたどる理由のひとつがここにあると考えている。







