「あと少しだから」と引き返せない――そんな判断が、損失も危険も膨らませる。エベレスト遭難も企業の失敗も根は同じだ。なぜ人は、間違いに気づいても賭けをやめられないのか。
楽天グループ代表取締役会長兼社長・三木谷浩史氏をはじめ、Google元会長やZoomの創設者も絶賛する世界的ベストセラー『1兆ドル思考 世界一流の成功をもたらす9原則』をもとに解説します。

「最後までやり続ける」と考える人は仕事ができない。仕事ができる人はどう考える?Photo: Adobe Stock

「あと少し」が命を奪う

登頂は達成可能に思える。とりわけ頂上が目前に迫っているときは。

エベレスト登頂を4回達成していた登山家のロブ・ホールは、1996年5月、5回目の登頂を目指していた。

ただ今回は、自身が共同創業した登山ガイド会社アドベンチャー・コンサルタンツに料金を支払って参加した大人数の登山者グループを引率していた。

山頂まであとわずか76メートルの場所で、登山隊は予期せぬ難題に直面する。

「ヒラリー・ステップ」と呼ばれる約12メートルの切り立った岩壁で、ロープを固定するのに手間取ったのだ。

午前11時40分の時点で、登山者たちはロープの固定作業のやり直しを余儀なくされた。

その瞬間、ホールは全員で引き返さなければならないことに気づくべきだった。

山頂の天候は午後には悪化する可能性が極めて高く、許容される安全な時間内に下山を開始できる見込みは薄かった。さらに悪いことに、ボンベには十分な酸素がなかった。

だが、頂上は目の前だ。

登山隊は「頂上を制覇する断固たる決意」をしていた。

ロープの固定がうまくいき始め、午後1時25分頃、最初のメンバーが予定より大幅に遅れて山頂に到達した。

一人また一人とゆっくりと登り続け、午後3時の時点でまだ山頂を目指す者もいたが、全員が下山を始めなければならない時間をとっくに過ぎていた。

予報通り天候は悪化し、酸素ボンベは空になった。

懸命な救助活動も8人の登山者を救うことはできず、彼らが生きて下山することは叶わなかった。

それ以外の登山者はシェルパと救助隊の勇敢な活動によって間一髪で救助された。

ロブ・ホールとその登山隊のケースは決して例外ではない。

エベレスト登頂を試みて何百人もの登山者が命を落としている。

慎重な登山者でも、山頂を目前にすると大きなリスクをとることが多い。

こうした大きな成果が手の届くところにあると、少し余分なリスクが正当なものと感じられるのだ。

「損切りできない」人間心理

登山者とビジネスの意思決定者との共通点はなんだろうか。

私たち人間は本質的に、生死がかかった状況でも、方針を転換して損切りすることに抵抗する。

世界の頂点に近づいていると思う場合はなおさらだ。

経済学者と行動科学者は、この現象を「コミットメントのエスカレーション」と名付け、軍事紛争から集団の意思決定まで、さまざまな状況に関連して徹底的に研究してきた。

コミットメントのエスカレーションの例は豊富にある。

このバイアスは私たちの論理的思考を歪め、時に致命的な結果を招く。

ポーカーでは、有利な手札を2枚持つプレイヤーは、最初に公開される3枚の共通カードが役に立たないとわかって失望すると、直感的にフォールドではなく、次のターンでの奇跡を期待して、自ら選択した戦略を継続する傾向にある。

アマチュアプレイヤーによくある間違いは、諦めることを悪い戦略とみなすことだ。

経験の浅いプレイヤーとプロとの最大の違いは、経験の浅いプレイヤーほどフォールドの頻度が低いことにある。

間違いを認めたり、期待した幸運が実現しないことを受け入れたりするのは誰にとっても難しい。

私たちは皆、方針を変えるのを恐れ、以前の決定に固執する。

自分が間違っていたことを疑っていても、単純に自分は正しいと信じたがるのだ。

(本記事は『1兆ドル思考 世界一流の成功をもたらす9原則』から一部を抜粋・編集しています)