◆【リーダーの罠】「恩人だから」→ニコライ2世が怪僧を重用した末路がヤバすぎた
【悩んだら歴史に相談せよ】『リーダーは日本史に学べ』の著者が、舞台を世界へ広げた『リーダーは世界史に学べ』。東京大学・羽田 正名誉教授の監修のもと、世界史に名を刻む35人の言葉から、現代のビジネスに必要な「決断力」「洞察力」「育成力」「人間力」「健康力」と5つの力を磨く術を解説する。
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個人的な恩義や感謝で「怪僧」を引き寄せたロシア皇帝
「怪僧」ラスプーチンの台頭
日露戦争を終結に導いたポーツマス講和条約などで大きく貢献したセルゲイ・ウィッテ。ニコライ2世は、そのような賢臣を遠ざける一方で、ある一人の人物を深く信頼していました。それが、ロシア史において「怪僧」として広く知られるグリゴリー・ラスプーチンです。
ラスプーチンは西シベリアの寒村出身の宗教家で、神秘的な霊的能力を持っていたと言われています。なかでも彼の持つ「癒やしの力」は、当時の宮廷に大きな衝撃を与えました。
皇太子の病と絶望の中の光
ラスプーチンが宮廷に迎え入れられた背景には、ニコライ2世の息子であり皇太子でもあったアレクセイの重い病がありました。彼が患っていたのは血友病と呼ばれるもので、一度傷を負うと血が止まらなくなり、ほんの小さな傷でも命に関わる非常に危険な病気です。
皇后アレクサンドラは、わが子が苦しむ姿に心を痛め、祈るような思いで治療法を求めていました。そのような状況下で、ラスプーチンが幾度となく皇太子の出血を止める場面を目の当たりにした皇后は、「この人こそ神の使いである」と確信するようになります。
当時の彼女にとって、ラスプーチンは絶望の淵に差し込んだ一筋の光のような存在だったのでしょう。
権威の失墜と政治への介入
しかし、ラスプーチンの実際の姿は、宮廷にふさわしくないものでした。数々の素行不良で知られ、酒に溺れ、夜ごと女性たちと過ごすなど、不道徳なうわさが絶えなかったのです。
それでも皇后アレクサンドラは彼を庇い続け、ニコライ2世も妻の意向に従いました。やがて、ラスプーチンと皇后の間に「愛人関係があるのではないか」というスキャンダルまで広まります。このうわさの真偽は定かではありませんが、「皇后に操られる皇帝」というイメージが国民の間に定着し、ニコライ2世の権威は大きく失墜していきました。
それにもかかわらず、ニコライ2世はラスプーチンを擁護し続けただけでなく、さらには彼が政治へ介入することまで許すようになってしまったのです。
ラスプーチンの暗殺と帝政の終焉
多くの皇族や貴族たちは、国家の威信を守るため、1916年の冬、ついにラスプーチンの暗殺を決行しました。
彼の死によって国内の混乱は一時的に沈静化しましたが、すでに皇帝に対する国民の信頼は大きく損なわれていました。翌1917年にはロシア革命が勃発し、ニコライ2世はついに皇帝の座を追われます。そしてその翌年、彼と家族は銃殺されるという悲劇的な最期を迎えました。
現代にも通じるリーダーの教訓
公私混同の危険性
ニコライ2世が犯した大きな失敗の一つは、「子どもの重い病を癒やしてくれた」という個人的な恩義や感謝の念からラスプーチンを重用し、あろうことか政治への介入まで許してしまったことです。
本来、リーダーがどのような人物を政治や重要なポジションに関与させるかは、その人物の資質や能力に基づいて客観的に判断すべきものです。それを個人的な感情や恩義で決めてしまうのは、明らかな公私混同と言わざるを得ません。
これは、ニコライ2世に限った特別な話ではありません。リーダーが誰を重用するかを決める際、個人的な感情ではなく、その人物の素質や能力に基づいて判断することは、いつの時代も変わらない原理原則です。
この原理原則に反すれば、組織は停滞し、やがては瓦解へと向かいます。歴史上数多く見られるこうした失敗例は、現代を生きる私たちにとって、深く心に刻むべき教訓と言えるでしょう。
※本稿は『リーダーは世界史に学べ』(ダイヤモンド社)の著者による特別原稿です。















