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まだ社会に出ていないのに、やけに達観したような大学生の会話にモヤッとしたことはないだろうか。そんな違和感を鮮やかに言語化したのが、J.D.サリンジャーの小説『フラニーとズーイ』だ。知性や個性を誇示するほど、かえって凡庸に陥ってしまう――そんな若者の自意識を痛烈に描いた名作から、「意識高い系」の思考の正体を読み解く。※本稿は、文筆家の堀越英美『あなたのモヤモヤに効く世界文学 恋愛から仕事、親子関係、中年危機まで』(筑摩書房)の一部を抜粋・編集したものです。
大学生ノリのウザさを描いた
『フラニーとズーイ』
1950年代に発表された『フラニーとズーイ』は、都会の恵まれた大学生を嫌う心情が、国や時代を超えて共通していることがよくわかる青春小説です。冒頭から、男子学生集団の特権意識と軽薄さが痛烈に皮肉られます。
《彼らの声はほとんど例外なく、いかにも大学生らしく独断的だった。まるで若者たちの一人一人が、自分の発言の番が来るたびに、その耳障りな声で、この世界を悩ませている複雑に入り組んだ何らかの問題を、さっさと苦もなく捌き、ものの見事に解決してしまいそうだった。そのような問題は、大学から遠く離れた世間の無知蒙昧な連中によって、幾世紀にもわたって、人の神経を逆なでするためかどうかは知れないが、ことさら手際悪く取り扱われてきたのだとでも言わんばかりに。》
口調がいけすかない、というだけなのにずいぶん手厳しい。大学生ノリが嫌いな人のための小説といっても過言ではないでしょう。
この小説の中心人物は、かつてメディアで早熟の天才キッズとしてもてはやされていたグラス家の7人きょうだいの末の2人、フラニーとズーイです。







