今なお影響力がある100年前のファッション論

 ところで、ジンメルのファッション論は、わたしたちにとって非常にリアリティがありますが、実は彼は19世紀生まれの学者です。

 ジンメルは19世紀末からファッションについて執筆を始め、1905年に「ファッションの哲学」という論考を出版しました。要するに、100年以上前のファッション論であるわけです。そんな昔の理論を現代の私たちがリアルに感じるとは不思議です。

 19世紀末から20世紀初頭のファッションといえば、女性たちはまだ大きな帽子をかぶり、下着のコルセットを身につけて、細く流麗なラインのドレスで着飾っていました。西洋のファッションが日本に本格的に流入する前です。そんな時代のファッションを現代の私たちが身につけているわけではありません。

 流行の服はこの100年あまりに劇的な変化を遂げたにもかかわらず、ジンメルのファッション論がいまだに説得力を持っているのはなぜなのでしょうか?

 それは、さまざま流行が生まれては消え、ファッションが多様に変化しているにもかかわらず、そのファッションを生み出している社会の仕組み自体に大きな変化がないからです。

 そんなことあるわけない、と言いたくなるかもしれません。ところが、現代のファッションの常識の多くは、ジンメルの時代の西洋社会で形作られたものです。

ファッションは自己表現なのか?

 身近な話を紹介したいと思います。

 私は大学の教員なので、日々授業で若い学生に接します。大学ではじめて私の授業を受講する新入生たちによく、「あなたにとってファッションとはなんですか」と質問しています。

 学生たちの回答には、身体を保護するためという衣服の機能面に関するものもありますが、かなり多くの割合で「自己を表現するため」という回答がでてきます。私はこの回答をもらうたびに、学生たちがファッションに希望をもっていることを嬉しく感じると同時に、ファッションの常識を信じて疑っていないことに危機感を持ちます。

 ファッションは自己を表現するものである。そのような価値観こそ、西洋の近代社会がもたらしたものだからです。

 自己を表現するとはどのようなことでしょうか。服装を通して「自己」を表現するには、自分自身について知っていなければなりません。自分の性格、趣味、好きな物、嫌いな物などを意識的に理解している人は、実はそれほど多くないのではないでしょうか。

 にもかかわらず、「自己」や「自分らしさ」を、ファッションを通して表現しようとします。しかし、どのような服を着たら、もっとも自分らしい格好になるのでしょうか。そもそも体の表面を覆う服によって、本当に「自分らしさ」を表現することができるのでしょうか。

 それどころか、服が「自己」を表現する必要があるのでしょうか。むしろ、私たちが暮らす社会では、服を通して自己を表現することが「望ましい」と思われているのです。