学校の授業で学ぶ歴史には、偉人たちの輝かしい功績や「すごい」エピソードが数多く登場します。しかし、どんな人物にもそれだけでは語れない一面があります。歴史をひもとくと、「すごい」人の中にも、思わず目を疑うような「やばい」行動や選択が、数多く記録されているのです。
そんな「すごい」と「やばい」の両面から、日本史の人物のリアルな姿に迫るのが『東大教授がおしえる 超!やばい日本史』。本原稿では、本書の内容を引きながら、「日本史上のやばい人物ベスト3」を紹介する。(ダイヤモンド社書籍編集局・三浦岳)
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偉人はやばさにこそ魅力がある
日本史には、「すごい」を通りこして「やばい」と言いたくなる人物がいる。何をするにも超強引だったり、発想が極端だったり、時代を先取りしすぎていたりする人物だ。
ここでは『東大教授がおしえる 超!やばい日本史』から、日本史上屈指の「やばい人物」を取り上げたい。
第3位 小栗忠順――無能な役人を「うんこ製造機」よばわりする
幕末、日本が「攘夷か開国か」で揺れる中、現実的な答えを明晰にとらえていたのが幕臣の小栗忠順だ。
彼は渡米して見聞を広め、帰国後は、日本に近代工業の基盤をつくろうとした。その象徴が横須賀製鉄所である。ここまでは「先見性のある優秀な官僚」だ。
一方で、やばいのはここからだ。
小栗はあまりにも頭が切れすぎて、周囲の役人に対して容赦がなかった。
そして、「あいつらは製ふん機だ」と言っていたという。つまり、「飯を食って出すだけのうんこ製造機」という意味である。外国にビクビクし、自分で動かない幕府の役人たちに、露骨にキレていたのだ。
さらに大政奉還後は、「新政府軍と戦うべきだ」と主戦論を唱え、作戦を立てるが理解されない。結果、すべての役職を解かれ、失脚。
しかし、小栗が考えていた作戦は実際には鋭いものだった。
その後は群馬で静かに暮らしていたが、小栗の頭脳を恐れた新政府軍は「反乱を企てている」というデマを元に逮捕し、裁判もなく処刑した。
41歳。あまりに早すぎる最期だった。時代を先取りしすぎていた、すごくてやばい人物だった。
第2位 北条政子――言うことを聞かない息子の暗殺疑惑がある
鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝の妻であり、その死後に幕府の実権を握ったのが北条政子である。
じつは、源頼朝と北条政子の息子は、ふたりとも非業の死をとげている。
長男の頼家は、母の実家である北条氏を遠ざけ、妻の実家である比企氏を重用するようになり、幕府内の主導権争いが激化した。その結果、比企一族は滅ぼされ、頼家も幽閉される。
北条政子のやばさは、こうした対立の中で頼家と実朝が命を落とす事態に至りながら、結果として体制が維持され、幕府の実権が北条氏に集中していった点にある。
幽閉された頼家は、以下のような最期を迎える。
頼家も実朝も、政子が直接暗殺を命じた記録はない。だが「息子への情よりも政権の安定を選んだのでしょう」というのが本書の見立てだ。
結果として幕府の実権は北条氏に集中し、その後の体制が形づくられていくことになる。
第1位 織田信長――石を「神」として拝ませる
織田信長のやばさは、強さだけではない。
人にどう見えるか、人をどう驚かせるかに異常なほどこだわったところにある。
たとえば安土城でのふるまいが典型だ。信長は、正月に大勢の武将を豪華な城に招き、その壮麗さを見せつけている。
そこまではまだ分かる。だが、信長は見物が終わったあと、なんと見物料まで取ったという。
これは金がほしいというより、「金を払う価値があるほどの城なのだ」と思わせる演出だったのだろう。
相手を圧倒し、モノの価値を自分が決める。その演出の徹底ぶりが信長らしい。
信長の演出欲は、これだけにとどまらない。
安土城の中の寺に大きな石を置き、それを「神」として拝ませたり、自分の誕生日を「聖日」としたりしたという。
さらに、お盆には安土城を灯りでライトアップし、人々を驚かせた。
信長は単なる武将ではない。どうすれば人の目を奪えるか、どうすれば記憶に残るかを考え抜いた、戦国時代のイベントプロデューサーでもあったのだ。
(本原稿は『東大教授がおしえる 超!やばい日本史』に関連した書き下ろし記事です)









