「歴史嫌いだった中学生の娘がどっぷりハマりました」
そんな感想が寄せられているのが、「すごい」と「やばい」の両面から日本史の人物の魅力に迫った『東大教授がおしえる やばい日本史』です。本書の監修をつとめた東京大学史料編纂所教授の本郷和人先生によると、学校の歴史の授業で出てくる「すごい」偉人たちも、実はものすごい失敗をしたり、へんな行動をしたりした「やばい」記録がたくさん残っているそうです。
今回は、大垣書店麻布台ヒルズ店(東京・港区)で開催された、本郷先生のご登壇イベント「親子で歴史がもっと好きになる『やばい日本史』夏休み特別授業」(ダイヤモンド社「The Salon」主催)の模様をダイジェストでお届けいたします。
(構成/ダイヤモンド社コンテンツビジネス部)

「歴史嫌いだった中学生の娘がどっぷりハマった」との声も! 子どもたちが夢中で読んでいる異色の歴史本で紹介されている「織田信長の過激すぎるエピソード」とは?Photo:Adobe Stock

戦国時代は「地方が主役」だった

――歴史好きの子どもや大人の間でも、様々な武将が活躍した戦国時代は、特に人気がある時代です。本郷先生は、戦国時代をどんな時代だったとお考えですか?

本郷和人(以下、本郷) 日本史の研究者には、京都を中心にこの時代を理解している人が多いですが、僕はそういうスタンスではなく「地方」を中心に考えています。

――京都ではなく、「地方」の視点で戦国時代を見るということですね。

本郷 そうです。なぜなら、上杉謙信なら新潟の王様、北条氏なら関東の王様、武田信玄なら山梨の王様といったように、この時代には地域ごとに「王様」が生まれて、その王様たちの弱肉強食の争いの結果、日本中の小さな王国がだんだん統一されていったというイメージを僕は持っているからです。

 言ってしまえば、「地方が主役」の時代だと僕は思っています。

武田信玄は甲斐の国を愛していた

――なるほど。それでは、戦国時代に地方をけん引した武将について伺っていきたいと思います。まずは、武田信玄から教えてください。

本郷 武田信玄にまつわる、ちょっと面白いエピソードがあります。彼は戦国時代最強の軍隊を率いた優秀な武将ですが、実はイケメンにはメロメロだったんです。

――なんと! そうだったんですね。

本郷 なぜそれがわかるかというと、僕が勤めている東京大学史料編纂所に、春日源助という少年宛てに信玄が書いたラブレターの原本があるからです。じつは、戦国時代から「男の人どうしの恋愛」も普通にあったんですね。

 ちなみに、そのラブレターには、「僕が好きなのは君だけだよ」と書いてあります。これは、信玄が三角関係を疑われて言い訳をしているのですが、その三角関係のもう1人の相手も男の人なんです。

――そんな繊細なラブレターを書いていた信玄ですが、武将としてはどのような人物だったのでしょうか?

本郷 彼が治めていた甲斐の国、今でいう山梨県への愛がすごく深かった人物だったと思います。

 たとえば信玄は、しばしば水害を引き起こしていた甲府の暴れ川の治水工事を行って、地域の住民が安心して暮らせるようにしました。

 この工事はとても規模が大きく、全国から職人を集めたそうなので、ものすごくお金がかかったはずです。おそらく大赤字の事業だったでしょうし、財政的な負担を考えれば、甲府を捨てて「違う町にお城を移す」という選択肢もありえたはずです。

 しかし、信玄は甲府という町に一生懸命お金を投入して、そこに暮らす人々を守ろうとしました。それだけ、甲斐の国を愛していたということの証だと思います。

 僕は実際に甲府に行って、その治水工事の跡を見たことがありますが、彼の心意気を感じてジーンとしました。

――先生のおっしゃる通り、地方に「王様」が現れたからこそ、地域の暮らしをより良くしようとする動きも活発化したということでしょうか。

本郷 その通りです。なので、今でも甲府では、彼のことを「武田信玄」などと呼び捨てにすると怒られてしまいます。きちんと敬意を払って「信玄公」と呼ばないといけないんですね。

 ぜひ皆さんも、甲府に足を運んでみてください。いい温泉がありますし、果物もおいしいですよ。