学校の授業で教わる歴史には、偉人たちの「すごい」逸話が数多く出てきます。しかし、ただ単に「すごい」だけの人物は、この世に一人としていません。実は、歴史の中には、「すごい」人の「やばい」記録もたくさん残っているそうです。そんな「すごい」と「やばい」の両面から日本史の人物の魅力に迫ったのが、東京大学史料編纂所教授の本郷和人先生が監修をつとめた『東大教授がおしえる やばい日本史』です。
今回は、大垣書店麻布台ヒルズ店(東京・港区)で8月に開催された、本郷先生のご登壇イベント「親子で歴史がもっと好きになる『やばい日本史』夏休み特別授業」(ダイヤモンド社「The Salon」主催)より、Q&Aセッションの模様をダイジェストでお届けいたします。
(構成/ダイヤモンド社コンテンツビジネス部)

東大教授が教える「戦に弱かった戦国武将」ワースト1Photo:Adobe Stock ※写真はイメージです

城を攻め落とすのに必要な人数とは?

Q. 藤堂高虎や加藤清正が「築城の名手」と呼ばれていたのはなぜでしょうか。さすがに、本人が設計図を描いたわけではないと思います。

本郷和人(以下、本郷) 藤堂高虎と加藤清正に黒田官兵衛を加えた、「築城三名人」は本当にいい城を造りましたよね。彼らはそもそも土木工事が得意で、「その川をあっちに移動して」とか「この丘をもう少し削って」といった指示が的確に出せたんだと思います。

 でもおっしゃる通り、もっと細かい設計図レベルの話となると、武将本人ではなく、家臣として召し抱えていた「専門の技術者」が担当していたはずですよ。

――そうなると、土木工事の専門家を集めた「築城チーム」のようなものをつくっていたのでしょうか?

本郷 おそらくそうですね。

 現代だと、大きな建物をつくるために建築士やデザイナーを雇おうとしたら、相当高額なお金が必要になると思います。しかし、戦国時代から江戸時代初期にかけては、そうした人たちを雇うお金、いわゆる「人件費」が今よりもはるかに少なく済みました

 なので、当時の武将は、非常に多くの人を動員して、城造りに充てていたんです。

――それだけ、武将にとって城が重要だったわけですね。

本郷 その通りです。城というのは、攻めてきた敵と戦うときの拠点であり、立てこもる砦なので、とても大事な建造物です。

 基本的に、自陣の「3倍以上」の人数が攻めてきたら、城外へ出るよりも城に立てこもって戦う方が有利だとされています。たとえば、自分たちの勢力が1000人で、敵が3000人規模だったら、籠城作戦の方が賢明なわけです。

 逆にいうと、城を落としたければ、相手の3倍の兵力を用意しなくてはいけないということですね。特に堅固な城を攻める場合は、5倍もの兵力が必要だともいわれています。

「戦に弱かった戦国武将」ワースト1

Q. 一番弱かった戦国武将は誰だと思いますか?

本郷 何をもってして「弱かった」とするかが難しいですが、パッと思いつくのは、常陸国(現在の茨城県)の大名・小田氏治です。

 とにかくたくさん戦に負けて、居城を何度も奪われましたが、不思議と生きのびたという変わった人物です

 つまり、全然勝てなかったにもかかわらず、家来が氏治のことを見捨てなかったということです。ぜひ、小田氏治という人物のことは調べてみてください。