捨松、りんと直美をトレインドナースにスカウト
深刻なシーンから、いきなり場面が変わって、豪華なお屋敷。和風の建物に洋風のしつらえの和洋折衷。そこにりんと直美が連れてこられている。お座敷にはじゅうたんと応接セット。すてきな調度品やお花。贅沢(ぜいたく)なおうちだ。
炊き出しの少年は何だったのだろう。炊き出しで食中毒を出したかもしれないのに、大丈夫だったのだろうか。それとも直美の言うように食べすぎただけだったのだろうか。
「とにかく私は吉江先生と初対面ってことでよろしく。あなたともね」と直美はりんに口止めを頼んでいると、障子が開いて捨松が入ってくる。召使いがしずしずとお茶を運んでくる。
そこで唐突に本題。
「あなた方、トレインドナースになりませんか?」
来たー。
「トレインド」も「ナース」もりんはわからない。
直美はかろうじて言葉の意味がわかるが捨松の真意がわからない。
ナースは、日本にまだない「病人を看護する専門の職業」。わからなくて当然と捨松は言う。捨松が知っているわけはアメリカの学校でトレーニングを受けたから。双六(すごろく)の目に「医者」はあっても「看護師」はなかったのも日本では知られていないからだ。
西洋では看護の技術を持った専門家として尊重されていると聞いて直美は、日本では他人の看病は貧しい人がお金を得るために危険を冒してする仕事だと認識していたので驚く。
「どうして看病する人たちがさげすまれなければならないのですか? 私はそんな私たちの社会を変えたいのです」と捨松は強い意思を見せる。
そんな私たちの社会――「our society」と直美。さすが直美。
これまで何度か出てきた「society」。ここへきてついにりんと直美が社会にコミットしていく扉が開かれた。この頃は「ソサイエティ」と発音していたようだ。そーゆーところはリアリティを追及している。
捨松は、看護学校ができるので、そこで学び、看護師の資格を得ないかと言う。
在学期間2年、入学金は無料で、授業料は月50銭。寮があって3食込みで1円。
捨松はりんと直美の少年への対応を見込んで持ちかけているのだが、こんなに早急に畳み込むのはふつうだったらちょっとあやしい気もする。卯三郎(坂東彌十郎)とりんもそうだが、現実でこんなふうに一気に畳み込んできたら要注意であろう。そこはドラマ。
りんは家族がいるので授業料を出すことも、まして寮生活も難しいと遠慮する。
「アメリカでは、女でも自分の力で生きていける給金を得られる仕事です。授業料は、ナースになれば、働きながら返すこともできますし、自分の力で生きていける」となおも薦める。
日本ではわからないがアメリカでは月30円ほど。
心が動く2人だったが――。
さて明治時代の給金事情を。
アメリカのナースの給料30円ほど(1カ月)
りんの現在の給料3円(1カ月)
直美のマッチ工場の給金 30円(3年)
『ばけばけ』ヘブン先生の給料100円(松江に来た当時 1カ月)
『ばけばけ』トキの女中の給金20円(1カ月)
ちなみに明治4年(1871年)のドルと円の関係は1円=1ドルで、円高ドル安関係なくアメリカのほうが断然賃金が高い。この差は国力の差?









