
「私、あの時、何もできんかったから」
第16回の少年の嘔吐(おうと)に続き、環の高熱。初週はコロリ。看護師ものだから、病気ネタが続く。
不穏な鐘の音がして、美津が2階に上がってくる。これまでこんなに熱があがったことはないと心配するりん。あちこち慣れない場所に連れ回されて疲れてしまったのだろう。かわいそうに。
美津は手ぬぐいにねぎをのせ、環の首に巻く。
りんが子どもの頃、熱を出したときにはこれが効いたという。
「私はあなたを子どものころから看病してきました」と、他人の看護よりも家族の看護で十分だということを暗に示す美津。
母と看病を交代し、1階に降りると、安がおにぎりを握っている。りんは沸いているおつゆをお椀に入れる。日常の生活動線が“それなりに”再現されているのは、『風、薫る』の良いところだ。湯気もふんわりといい感じ。
りんは、父・信右衛門(北村一輝)のことを思い出していた。あのとき、自分が適切な看護の方法を知っていたら父は生きられたかもしれないと後悔する。
「私、あん時、なんもできんかったから」と『おかえりモネ』(21年度前期)のようなことを言う(主人公が東日本大震災のとき何もできなかったことを悔いていた)。
「今だって、環に何をしていいのか……」
確かに、あのとき、捨松(多部未華子)のように、吐瀉(としゃ)物の処理の仕方や、口をゆすいでから水を飲ませる知識などがりんにあれば、少なくとも信右衛門の苦しみは軽減できたかもしれない。
民間療法が理屈に合っていることもある。ねぎを首に巻いて熱を引かせるのも、殺菌成分が含まれているためだとは言われている。
ただ、もっと、研究を進めて、医学という形に昇華していくことでより的確に病気を治すことができるわけだ。
捨松の行いを見るに、まずは難しいことではなく、衛生面の徹底であろう。
衛生面における時代の変化は興味深い。
一晩中、環のそばに寄り添っていたりんだが、朝方、つい居眠りしてしまっていると、環の熱が下がっていた。
「おなかすいた」という環に、小魚の煮物を食べさせるりん。おいしそうに食べる環が愛らしい。ここで食べるものが小魚というのが渋い。質実剛健。







