困っている他人に現金を渡す
アルゼンチン人通訳の驚きの行動

 別の日のことである。ブエノスアイレス市内を移動中、タマちゃんとUber Taxiに乗り込み、宿へ向かっていた。10分ほど走ったところで、運転手の携帯が鳴った。どうやら長電話のようで、スペイン語で10分くらい話していただろうか。口調から、明るい話題ではないことが分かった。

 電話が終わりしばらくすると、タマちゃんがこう聞いてきた。「泉さん、今現金を幾ら持ってる?」

 何を意味しているか分からずに意図を聞くと、運転手は家族と電話をしていて、重病の子どもの手術費が足りずに困っている、とのことだった。

 車内がしんとした。フロントミラーに映る運転手の表情は変わらない。目は真っすぐ前を向いたまま、何事もなかったように車を走らせていた。

 財布の中を確認すると、数千ペソほどあった。タマちゃんも財布を取り出し、2人分を合わせて降りるときに運転手に手渡した。運転手は恐縮しながらも、「gracias(ありがとう)」と言って受け取った。

「本当かどうかは分からないけど」。車を降りてから、タマちゃんが言った。

 そうなのだ。本当かどうかは分からない。アルゼンチンには生活に困った人が多く、こうした話が作り話である可能性もゼロではない。それでも、あの車内の出来事はアルゼンチンの空気を象徴しているような気がした。

 本当かどうかにかかわらず、財布を開いてしまう。細かいことを考える前に、誰かが困っていれば手を差し伸べる。パーティーで見知らぬ人とすぐに打ち解け、深夜まで語り合えるこの国では、人と人の距離がそもそも近いのかもしれない。だから困っている人を目の前にすると、人ごとにしにくい。

 そう思い始めていた頃、ボカ地区の公園で2人の老人に出会った。

80代の元バス運転手が語った
人生で「たった一つ」の誇り

 ブエノスアイレス南部、ボカ地区。労働者の街として発展したこのエリアに、地元の人しか使わないような小さな公園がある。

 午後の日を浴びながら、テーブルを挟んで2人の老人がベンチに並んで腰掛けていた。2人の間には魔法瓶とマテ茶の道具が置かれていた。

 声を掛けると、気さくに話してくれた。2人は80代で、1人は長年バスの運転手をしていたと言う。話を聞いているうちに、彼が思い出したようにこんな話をしてくれた。

「私には人生で一つだけ、誇れることがある」

 今から20年以上も前のこと。ある深夜、同じ公園で座っていると、女性と幼い子どもがさまよっていたという。様子がおかしいので話し掛けると、夫からDVを受けて家を飛び出してきたのだという。行く当てがなかった。

「うちに来なさい」

 彼は2人を地方にある自分の実家に連れて行き、しばらく住まわせた。やがて母親はそのまま、その町で自立した。ところが、すくすくと育った子どもが医学部に進みたいと言った。大学の学費は無償だが、ブエノスアイレスでの生活費がかかる。おじいさんは、住宅費や生活費を負担したという。

「バスの運転手の給料だから、楽じゃなかったが」と笑いながら、「彼女は今、医者になった。大した人生ではなかったが、その家族との関係が自分の誇りになっている」と語った。

 話を聞いていたもう1人の老人が、「俺の誇りは」と続ける。「私はフォークランド戦争に行って、生きて帰ってきた」。

 1982年、アルゼンチンと英国が南大西洋の島を巡って争った戦いだ。アルゼンチン軍は敗れ、多くの兵士が命を落とした。

 2人はまた黙って、ゆっくりとマテ茶を飲み続けていた。

孤独が薄くなるのなら
「衰退=悪」ではないかもしれない

 タマちゃんの剣道仲間、Uberの運転手、ボカ地区の公園。この旅で出会った人たちの顔を思い返すと、ある共通点に気が付く。

 誰もが、決して楽観できる状況にいるわけではなかった。むしろ、経済的に苦しく、あるいは戦争の傷を抱えていた。それでも誰一人、自分を「不幸だ」とは言わなかった。

 アルゼンチンの経済指標は、日本にはるかに劣る。1人当たりGDPでも、インフラでも、治安でも、比較にならない。しかし、アルゼンチンの人たちの方が、幸せそうに映る。

 その差を生んでいるものとして、一つの仮説を持っている。それはアルゼンチンにおける人と人の距離だ。

 深夜に集まって見知らぬ人とすぐに打ち解け、困っている人を前にすると細かいことを考えずに手を差し伸べる。

 公園のベンチで老人が2人、マテ茶を飲みながら何時間も過ごす。たったそれだけのことに見えるが、経済的には豊かでなくとも、人が人のそばにいるという、ごく当たり前の事実がある。

 一方、日本におけるその距離は、じわじわと開いてきた。地域のつながりは薄れ、隣に誰が住んでいるかも知らないまま暮らす人が増えた。豊かになるにつれて、人はそれぞれの部屋に収まり、それぞれの画面に向かうようになった。

 国を頼れなくなったとき、人は隣にいる誰かを頼る。制度が壊れたとき、人は人に手を伸ばす。経済成長と人と人の距離は、反比例の関係にあるのかもしれない。

 国家の衰退は、物質的な豊かさの低下をもたらす。しかしその半面、人と人の距離を少し縮め、孤独に苦しむ人を減らすことにつながるのだとしたら、それは決して不幸ではない。むしろ、人間的な「美しき衰退」と呼べるのかもしれない。

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