
「うちに来る?部屋の中を見せてあげる」――。スラム街“最下層”の店主からの予想外の招待。狭いらせん階段を上った先にあったのは、想像を超える暮らしと絶望だった。連載『美しき衰退』#6では、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにある約5万人が暮らすスラム街「ビジャ31」への潜入取材の後編をお届けする。希望と絶望が交錯するアルゼンチンの実情を、スラム街の“内側”から報告する。(ノンフィクションライター 泉 秀一)
スラム街店主「うちに来る?」
予想外の招待から始まった住宅潜入
スラム街に足を踏み入れてから、およそ1時間がたっていた。特有の臭いとすれ違う人たちに品定めされるような視線に慣れ始め、この場所のより深部まで知りたいと思うようになっていた。
アルゼンチンの首都ブエノスアイレス市内最大規模のターミナル駅、レティーロ駅。その裏側の東京ドーム約15個分(70万平方メートル)ほどの土地に、およそ5万人が生活するスラム街「ビジャ31」がある。高級住宅街のレコレータ地区からわずか1キロメートル、金融街のプエルト・マデロからも2キロメートルしか離れていない立地だ。
本連載の第5回『日本人YouTuberが首絞め強盗に襲われた!現地人が「絶対に行くな」と警告するアルゼンチン最凶のスラム街に潜入【ビジャ31探訪記・前編】』に書いた通り、筆者は低所得者層が身を寄せ合うビジャ31を訪れた。
日本には、いわゆるスラム街がほとんど存在しないため、私たちのそれに対するイメージは映画や報道を通じた画一的なものになりがちだ。飢えた子どもたちに、ボロボロの建物、明日の命も知れない治安、絶望に支配された人々……。世界にはそのイメージ通りの場所が数多く存在する。
だが、現実のビジャ31は、世界最大級のスラムでありながら、そんな先入観とは大きく異なっている。確かに貧困はあるが、生存すら危ういような状況ではなく、日常生活を営めるインフラも整っている。見た目だけであれば、「絶望的」という言葉とはほど遠いように思える。
古びた格好をしてタイヤや雑貨店の店番をする店主もいれば、黒いビジネスリュックを背負ってこれからスラムの外に出かける人もいる。行政が整備したフットサルやバスケットボールのコートもあるし、軽食を出すレストランではコーラとフライドポテトを楽しんでいる若者もいる。歩いているだけでは、誰がスラム内での生活者で、誰が訪問者なのかは分からない。
そんなビジャ31を歩いていて興味をひかれたのが、人々の「商い」に明確なヒエラルキーが存在することだ。大別すれば4段階のグレードがあった。
ヒエラルキーの「最上位層」は、しっかりとテナントとして入り、店舗を構えたお店だ。入り口にドアこそないものの、建物の1階部分を改装していて、お店の「中に入る」スタイル。ナイキやアディダスの偽物スニーカー、ブランドもののコピー商品などを扱っていて、蛍光灯の明かりが商品を照らし出している。内装こそ簡素だが、商品陳列も整然としており、レジカウンターには電卓や釣り銭用の小銭入れまで用意されている。一見すると普通の商店と変わらない。
次の「中の上」のランクは、自宅の軒先で果物や靴下などの雑貨を販売しているお店。建物の入り口前に手製の木製箱や段ボール箱を組み合わせた陳列棚が並ぶ。商品には手書きの値札が付けられ、ビニール袋や包装紙も用意されている。店主たちは椅子に座って客を待ち、時折商品の位置を調整したり、通行人に軽く声をかけたりしている。商売への意欲が感じられる光景だ。
続く「中の下」から、出店場所が路上にある。歩道の端にハンガーラックを置き、古着をつるしている。足元には靴やサンダルが並べられ、段ボール箱にはサンダルなどの雑貨がぎっしりと詰め込まれている。陳列棚こそないものの、商品の種類や状態を見る限り、実用性を重視した品ぞろえだ。やや雑な感は否めないが、それでも「お店」という雰囲気は保たれている。
そして「最下層」が、路上に広げられたシートの上にほとんどガラクタのように見える雑貨を並べている店だった。ピンクや黄色など鮮やかな色のビニールシートが地面に敷かれ、その上にはまるで子どもが遊んだ後のおもちゃ箱をひっくり返したような光景が広がっている。色あせたミニオンズのマスコット、ハート型のサングラス、茶渋で汚れたコップ…。統一感のない商品が、まるでごみを拾い集めてきたもののように雑然と並べられていた。

このスタイルのお店になると、もはやお店をやっているというよりも、並べているものの横で休んでいる、という感じだ。ほとんど売る気もないのか、客引きもしない。店主は商品から少し離れた場所にプラスチックの椅子を置き、ぼんやりと通りを眺めている。道行く人々も、まるでそこが「昔からずっとある景色」かのように、全く気にせず素通りしていく。
手持ち無沙汰にしていた、ブルーシートスタイルのお店の女性店主に話しかけてみた。彼女の名はクラウディオ・セバージョス。年齢は50代で、ペルー国籍らしい。このお店、1日にいくら売れるのだろう。
「1万5000ペソ(約1650円)の日もあれば、全く売れない日もある。大体、5000ペソ(約550円)くらいだわ」
逆に質問をされた。「あなたはどこから来たの?ここで何をしてる?」
日本から来たライターであることを説明し、ビジャ31の実態をより知りたいと伝えると、彼女は唐突にこんな提案をしてきた。
「じゃあ、うちに来る?部屋の中を見せてあげる」
予想外の展開だ。これまで外から観察していたビジャ31の「暮らし」に、ついに足を踏み入れることになったのだ。