森七菜さん主演の映画『炎上』が、公開から連日満席で話題だ。歌舞伎町・トー横に集う若者を描いた本作で監督・脚本を務めるのは、サラリーマンでありながらサンダンス映画祭で日本人初のグランプリを受賞した長久允氏。その思考法を存分に伝える『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室』から、抜粋・再構成し、作品づくりの根幹に迫る。(構成/ダイヤモンド社書籍編集局)

脚本の教室Photo: Adobe Stock

未来は自由側に明るい

 実際の話、映画づくりはお金がかかります。

 あなたが大金持ちだった場合は例外ですが、多くの場合、映画を制作する上では資金が必要になり、それを回収するために、「興行」というビジネススキームに乗る必要が出てきます。

 それによって、よりたくさんの人がその作品にお金を使い=たくさんの人に観られるものでなければならないという制限がかかります。

 資金が回収しやすい上映時間、内容、ジャンル、媒体に表現が狭められ、私たちのところに届けられるのはそういうものがほとんどになってしまっているのです。

 だけど大丈夫。未来は、自由側・個人的側の映画に明るい予感もしています。

 iPhoneの撮影機能が上がったり、誰でも自分で編集ができる時代になったりした今、興行から離れた、より制限のかからない映画づくりが可能になってきているからです。

 たとえば私は、夜職の女性の方が帰宅後のルーティーンを上げているVlogをよく見ます。

 彼女は過酷な仕事を淡々とこなし、その愚痴を小さな声で呟き、小さな文字でテロップを入れ、冷蔵庫から缶のサワーと納豆を取り出して食事を摂ります。私は、いつもその映像に心が奪われます。

 映像の暗さも、整音されてないサウンドも、そのすべてがリアルで、彼女のその個人的な生活のディテールが、ハリウッド映画では表現することができない緻密な個人的さを定着させることに成功していると言えます。

 そして、もし彼女が「これを映画として発表します」と言ったら、私はきっとその年のパルムドール作品よりも、この映画を推すでしょう(でも彼女はそれを「映画」として発表することはないし、そんなことしなくても尊いと思っています)。

「それっぽいもの」はバレてしまう

 そんな価値観でいるので、私の脚本は、すべて私が思っていることで構成されています。

 自分が責任を持ってしゃべれる内容を俳優に発してもらっているという状態です。

 大人に対して、絶望に対して、お金に対して、性に対して、社会に対して、生きるということに対して、私が思っている本当のことしか書いていません。

 そこにカッコつけや、誤魔化しがあると、バレてしまう、と感じています。

脚本の教室『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室』より

「それっぽさ」にはなんの意味もないのだ。

 外側をどんなに綺麗にコーティングしても、中身が空っぽだったら、それは見る人にはバレてしまうんだ。

 逆に言えば、どんなにはちゃめちゃでも、真ん中にあなたが全力で伝えたいエモーションがあるならば、それでいいのだ。

 それこそが良いのだ。

 きっとちゃんと評価されるのだ。