事件が報じられてから、当時の手帳や業務日誌を何度も見直しましたが、「凜の会」の名前も、Cさんの名前も、いっさい出てきませんでした。そこで、

「4回も面会したなら、手帳に面会予定を書き込むはずです。そんな記録はないのだから面会はしていないはずです」と主張すると、遠藤検事は、

「すべてアポなしで押しかけたと、Cさんは言ってるよ」と応じます。

「頼み事をするのにアポなしで4回も押しかけるのは、かなり失礼なことですから、そんなことがあれば憶えているはずです。それに、私は会議や出張が多くて自席にいないことがしばしばありました。アポなしで来て4回とも私が自席にいて対応したなんて、あり得ません」といくら話しても、いっさい調書には書かれないのです。

 私がCさんに直接証明書を渡したという点についても、

「役所が発行した証明書は郵送します。発行した名義人が直接渡すのは感謝状と辞令ぐらいです」などと役所の仕事のやり方を詳しく説明しても、調書には記載されません。

「そもそも、障害者団体の証明書を発行する権限を持っていたのは私です。わざわざ部下に偽造など命じなくても、普通に決裁して正規のものを出せば済む話です」と検察のストーリーのおかしさを指摘しても、もちろん1文字も調書になりません。

 検察側に都合のいいこと、検事が欲しいところしか調書にはならない。取調べの目的は「真相の解明」ではないのだと、つくづく思い知らされました。

「検察官に真実を話せば
誤解が解ける」なんて甘かった

 それでもほとんどの被疑者が調書にサインしてしまうのは、接見禁止で外界とシャットアウトされているからです。

 事件について何も知らない状態の時、何が起こったのだろうと考える素材は、検事が喋ることしかありません。そのなかに自分が知っているのと違うこと、事実と違うことがいくつもあっても、誰とも連絡をとれないので確認のしようがありません。

 そのうちに、自分の記憶にどんどん自信がなくなっていき、勾留が長引くことへの不安と相まって、調書にサインしてしまうのです。

 もちろん警察や検察は単なる想像だけで逮捕しているわけではなく、それなりに内偵捜査をしているでしょうが、内偵捜査で得られる情報はかなり限られているはずです。

『おどろきの刑事司法 “犯罪者”の作り方』書影おどろきの刑事司法 “犯罪者”の作り方』(村木厚子、講談社)

 それなのに彼らは、内偵で間違いないと思ったら逮捕し、それでほぼ真相が発見できたと、集団的に思い込んでしまう。

「答え」を決めたら、動機なんかあとからいくらでも調書で足していける、それで出来上がりだ、と考えているとしか思えません。

 実際に取調べを受けるまでは、私は、検察官に真実を話せば、誤解がとけるはずだと淡い期待を持っていました。法務省と厚労省という組織の違いがあるとはいえ、同じ公務員ですから、捜査の見立てが誤っていることを理路整然と説明すれば、納得してもらえる──。

 しかし、これはまったくの幻想でした。検察官は真相を解明しようとしているのではなく、自らが作ったストーリーを裏付けるための材料だけを集めようとしているのです。彼らが考える「真実」に沿わない話には、まったく関心がないのです。