東京進出に苦戦
転機となった「ダイエーのアドバイス」
優れた商品ができても、売れなければ意味がない。パインは問屋を通じて関西を中心に西日本や東海エリアでの販路を広げていったが、東京進出では想像以上の壁に直面した。
1959年に満を持して東京営業所を開設したものの、「どこの会社だ?」「大阪の飴なんて扱わない」などと、門前払いをする問屋も少なくなかった。それでも営業担当者は何度も足を運び、顔を覚えてもらうことに努めた。こうした粘り強いアプローチが実を結び、少しずつ取引先が増えていった。
全国拡大への大きな転機となったのは、1966年から始まったダイエーでの販売だった。その時にダイエーのバイヤーから受けたのは、単なる販売機会だけではなかった。
「外袋のブルーは食欲減退の色だから売れない」「飴の穴が特徴なのだから、それがはっきりと見える透明の個包装にすべき」――そんな率直かつ親切なアドバイスが、現在のパッケージの原型を生み出すことになった。
個包装を透明にすることで飴の形状がよく見える Photo by M. F.
「せっかく穴が開いているのに、外から見えなければどんな形かわからない。中身を見せた方がいいというアドバイスはすごく的確でした」と井守氏は話す。穴あきのパインアメをパッケージ越しに見せることで、商品の個性が一目でわかるようになった。
ダイエーとの本格的な取引が始まると、他のスーパーマーケットも追随。この流れが全国展開への足がかりとなった。







