戦後まもない大阪で生まれ、70年以上も人々に愛され続けている「パインアメ」 Photo by Manabu Fushimi
甘酸っぱい味と、パイナップルを輪切りにしたようなフォルム――。大阪で生まれ、70年以上人々に愛されてきた「パインアメ」は、どのようにしてロングセラー商品となったのか。
実は、発売当初はトレードマークの“真ん中の穴”は空いていなかったのだという。その背景には、創業者の知られざる苦悩があった。(フリーライター 伏見 学)
阪神・岡田前監督が火をつけた
70年以上愛される「パインアメ」
「1試合に7、8粒は食べる」――2023年7月、プロ野球・阪神タイガースの岡田彰布前監督がそう語ったことで、ある菓子が突如として脚光を浴びた。
鮮やかな黄色のボディに、真ん中にぽっかりと開いた穴。レトロなパッケージに包まれた「パインアメ」だ。
その年、阪神はリーグ優勝、そして38年ぶりの日本一まで駆け上がった。パインアメの売り上げも同様に急上昇し、前年比でおよそ2倍にまで膨らんだ。
だが、パインアメはもともと、話題性で売れる菓子ではない。誕生は1951年。70年以上にわたって店頭に並び続けてきたロングセラー商品だ。
製造・販売を手がけるのは、大阪市に本社を構えるパイン。創業時は業平製菓という社名だったが、パインアメのヒットを受けて1956年にパイン製菓に、さらには1981年に現在の社名へと変わったほど、この商品は同社の象徴となっている。
現在は年間4億個ほどを製造するなど右肩上がりの順調な成長に見えるが、ここに至るまでの道のりは、模倣品との戦い、販路開拓の苦労、そして会社の存続すら危ぶまれた大規模な商品回収と、決して平坦ではなかった。いかにしてパインアメは時代を超えて生き残り、今も売れ続けているのか。







