僧から武士へ~異色の出自
宮部継潤は、享禄元年(1528)頃、近江国坂田郡醒井(さめがい、現在の滋賀県米原市)に生まれました。父は土肥真舜とされ、幼名は孫八と伝わります。
8歳で比叡山に入り、善祥坊と名乗って僧となりますが、いわゆる「荒法師」として、武闘的な活動に関わっていたといわれています。
その後、近江の宮部村に移り、湯次神社の社僧※で、宮部城の城主でもあった、宮部清潤のもとに身を寄せ、その養子となって、宮部継潤と名乗るようになったといわれています。宮部清潤は、社僧であると同時に在地勢力でもあったため、ここで継潤は、武士としての基盤を築いたといえます。
※社僧…神社に所属し、僧の姿で仏事を執り行った僧侶のこと。明治維新の神仏分離令で神社と寺社が分けられて廃止された。
左から、宮部継潤(演:ドンペイ)、小一郎長秀/豊臣秀長(演:仲野太賀)、藤吉郎秀吉(演:池松壮亮)(C)NHK 拡大画像表示
浅井家臣から織田方へ
やがて宮部城主となった宮部継潤は、浅井長政に仕えます。しかし、元亀元年(1570)、浅井長政が織田信長に背いたことで、情勢は一変。宮部城は、小谷城と、織田方の拠点である横山城との中間に位置する、戦略上の要地でした。
このため宮部継潤は、元亀2年(1571)、羽柴秀吉の調略に応じ、織田方へと転じたのです。これは単なる離反というより、在地領主として、生き残るための現実的判断と見ることができます。







