仮に、若者たちにおける経験や、そのための努力の意味合いが低下してきたとして、その背景には何があるのか。

「努力」「がんばる」といったキーワードで書籍の検索をかけてみた。すると、「努力はいらない」「がんばるのをやめよう」といったテーマを掲げた本がたくさん表示された。

 これらの次に多いのが、「効果的な努力」とか「効率的にがんばる」といったスキル修得系の本だ。効果的、効率的といった言葉がとにかく目立つ。「たったこれだけやればいい」といったキャッチコピーが、嫌というほど目に飛び込んでくる。

 もちろん「努力こそが人生を切り開く」といったテーマの本も、ちらほら登場する。ただ、それらの多くは海外で書かれた書籍の翻訳だったりする。

 いつから日本では、「努力」は不要で「いらない」ものとなったのか。いつから日本では、効果的で効率的な「努力」が優先されるようになったのか。

 いまや日本の上司や教師は、部下や教え子に「もっとがんばれ」という一言すら言えなくなった。言わざるを得ない状況になっても、「もうちょっとだけがんばってみようか」という具合に、最上級に神経を使いながらの指導になる。

 ましてや「がむしゃらにがんばる」なんて、もう完全に過去の遺物ということか。

 言うまでもなく、身体や心を壊してしまうほどがんばるべきではない。バーンアウトは働く上で最も気をつけるべき状態の一つだ。

 ただ、それを言うなら、あらゆることが程度問題であるはずだ。「○×しすぎに注意」という状態は、仕事や勉強に限ったことではない。しかし、今の若者たちの中にあるのは、まるでほんのちょっとの努力すら「有害」であるかのような論調だ。一体何が若者たちに、そこまで「努力」への負のイメージを抱かせているのだろうか。

成功の有無は「才能ガチャ」
がんばっても変えられない

 努力して何かを得る。がんばって成果をあげる。

 そんな考えの対極に位置するのが、がんばっても無駄、努力しても意味がない、という考えだ。そして、そんな考えを表現する言葉として「諦念感」が使われるようになって久しい。最近では、やはり「ガチャ」がわかりやすいかもしれない。