途方に暮れるような絶望感に襲われました。まる一日半も携帯電話が使えないだけでなく、見ず知らずの多くの人に迷惑をかけてしまうことになります。
本当に他に方法はないのだろうか――今振り返ると、諦めの悪い自分に感謝したいです。懐中電灯で下の駐車スペースを照らしてみると、幸運なことに空いているようです。携帯電話がそこに落ちているのも確認できたため、一か八かの思いで、その駐車スペースの番号を入力して操作してみたのです。すると、拍子抜けするほど簡単に携帯電話を取り出すことができました。
先ほどの絶望と恐怖が嘘のように消え去り、失ったものが再び戻ってきた安堵と喜びが同時に押し寄せてきました。そんな時、ふと1つの漢詩が頭をよぎりました。
朝廷の政策に反旗
3回も官職を罷免
『山西村に遊ぶ』
農家の師走 仕込の濁り酒でよければと招かれた
豊作なのでお客さまには豚も鶏も大盤振る舞いだと
道のりは幾重にも重なる山々と曲がりくねる川 もう行き止まりかと思いきや
柳の仄暗い木陰の先 日差しの中に花が咲き乱れ 村がその姿を現す
莫笑農家臘酒渾
豊年留客足鶏豚
峰回路転疑無路
柳暗花明又一村
農家の師走 仕込の濁り酒でよければと招かれた
豊作なのでお客さまには豚も鶏も大盤振る舞いだと
道のりは幾重にも重なる山々と曲がりくねる川 もう行き止まりかと思いきや
柳の仄暗い木陰の先 日差しの中に花が咲き乱れ 村がその姿を現す
莫笑農家臘酒渾
豊年留客足鶏豚
峰回路転疑無路
柳暗花明又一村
この詩は、中国の宋の詩人、陸游が43歳頃(1167年)に書いた作品です。一見すると穏やかな情景を描写し、農家に客として招かれた様子を詠んでいるようですが、実は彼が官職を罷免され故郷に戻り、悶々とした隠遁生活が3年目に突入した時期に書かれたものなのです。タイトルにある「山西村」は、山西省の村ではなく、彼の故郷である現在の浙江省紹興市の近くにあった村と考えられています。
陸游は、北宋から南宋へと時代が移り変わる戦乱の世に生まれ、幼少期には外敵による襲撃を幾度も経験しました。そのため、国土回復を目指し外敵との戦いを主張する詩を多く残しています。生涯にわたり、外敵に略奪された土地の奪還という政治理念を抱き続け、時には朝廷の政策に反旗を掲げたため、官職を罷免されることも3回ほどありました(古代では、官僚の任免は偏に皇帝の御意一つにかかっていました)。







