複数の情報を処理することにストレスや困難を感じてしまう私たちは、筋を決めたい、一元化したいという本能に近い欲望を抱えながら生活しています。だからこそ、自分なりに情報を削ぎ落とすことでジャッジを下し続けている。実際、上手く削ぎ落とせる人のほうが世間からは「合理的で優秀」とみなされるでしょう。マッチョな人間観のほうが優位に立ちやすい。これが能力主義社会の現実です。
でも、人間はそんなに単純な存在ではありませんよね。
いま、勝者の側で気持ちよくなっている人こそ、本気で想像してみてください。自分が誰を踏み台にしてここまできたのか、仕事に邁進できるあなたのパンツを洗ってくれる人は誰なのかを。
「自分は、自らの能力と努力のおかげでここまで来られた」と自負している人こそ、過去を振り返ってみてください。「たまたまタイミングが良かった」「支えてくれた人がいた」「あのときの環境が合っていた」……。そうした偶然と他者の存在に思いを馳せれば、自分の“勝ち”がどれほど恵まれた組み合わせの上に成り立っているかに気づけるはずです。
いまの自分には見えていない範囲を想像する、という手間がかかることを意識的に行なわなければ、私たちはいつまで経っても見下し、見下され合う苦しい構図から抜け出せないでしょう。
通知表をやめた
西新宿小学校で起きたこと
そもそも他人と比較した優劣に一喜一憂する人は、「評価」をあまりに絶対視しているように思われます。
東京都新宿区の西新宿小学校のように、近年は通知表を廃止する公立校が少しずつ増えてきました。
「あの子はスレスレでA評価だけど、そうなるとこの子は今回はB評価にするしかないな」といった具合に、人が決める序列には必ずゆらぎが生じます。相対的に序列化されることは、評価にはどこまでも恣意性が付きまとうことを意味します。学校の先生方だって常に「客観的」に評価できるわけではないのですから。







