通知表を廃止して数値による評価をやめた別の小学校は、代わりに、コメントでフィードバックする取り組みを始めました。「○○のときは上手くいかなかったけれど、友だちに自分から声をかけていたし、人前で発表するのが少しずつ上手になってきました」のように、数字で割り切れない部分にこそ、その子の学びの核心があると気づいたのでしょう。
結果として、通知表を廃止した学校では子どもたちが自然体でのびのびできるようになり、先生たちの負担も大幅に軽減され、実質的な働き方改革を実現したそうです。序列をつけることに気を揉むよりも、日頃から子どもをよく見て、その時々のゆらぎを個別に書き記すほうが、ずっと負担が少なかったからにほかなりません。
評価軸を多元化すると
呼吸がしやすくなる
念のため付け加えますが、いわゆる「勉強が得意なだけではもうダメです」などと学力や努力を否定する話ではありません。勉強に励み、試験に合格して、学歴を手に入れることで社会が泳ぎやすくなるタイプの子は、これからも変わらず存在するでしょう。それ自体は特に否定されるべきことではありません。
ただし、「頭がいい」という全人的な幻の能力に苦しめられる社会から抜け出すためには、学力や試験以外の別の軸をもっと増やしていくことが必要です。ペーパーテストが得意な子もいれば、別のよさを持つ子もいます。一元的な価値観だけで人間を測り、競争させ続ける構造は、もはや社会全体に与える弊害のほうが大きすぎるのです。それほどまでに、評価は私たちの内面に深く深く根を下ろしています。
もし、あなたがいまの職場をもっと良い方向へと変えたいと願っているのであれば、通知表を廃止した学校のケースに学べることがあるはずです。
「多元的な評価軸や新しい制度を導入するのは、コストが高い」という思い込みはいったん脇に置いてください。その上で、新しい試みに飛びつく前に、まずはいまの体制で形骸化している目標管理制度がないかを探し出し、それを終わらせるところから手を着けることをおすすめします。







