なぜいつも、軽く扱われてしまうのか?
人生は、思っているよりもずっと短い。限られた時間を「自分第一」で生きるためにはどうしたらいいのだろうか?
その答えが、『人生は気づかぬうちにすぎるから。「自分第一」で生きるための時間術』(クリス・ギレボー著、児島修訳)にある。本稿では同書から特別に一部を公開する。(構成/ダイヤモンド社書籍編集局・佐藤里咲)

【会話で即バレ】「いつも軽く扱われる人」のたった1つの共通点Photo: Adobe Stock

「軽く扱われる」原因

「なんでもいいよ」

気づくと、そう答えてばかりいないだろうか。

食事の場所も、休日の過ごし方も、将来のことも。
相手に合わせているつもりでも、それが続くと、人は少しずつ“軽く”扱われるようになる。

なぜなら、「自分を持っていない人」は、相手からすると“輪郭が見えない人”だからだ。

何を大切にしているのか。
どんな時間に喜びを感じるのか。
何を嫌だと思うのか。

そこが見えない人は、会話の中でも存在感が薄くなる。
すると、相手は無意識に、その人を「合わせてくれる側」として扱い始める。

「生きていることを時間できた瞬間」を知ろう

では、「自分の軸を持つ」ためにはどうすればいいのか。
ヒントになるのが、「生きていることを実感できた瞬間」を知ることだ。

「生きていることを実感できた瞬間」のリストをつくる
 あなたは、「何が自分を幸せにするか」を直感的にわかっているかもしれない。しかし、過去のさまざまな経験を振り返ってみるのも悪くない。
 まず、「生きていることを実感できた瞬間」のリストをつくろう。最近のことでも、
はるか昔のことでもかまわない。以下に、私の経験のいくつかを紹介しよう。あまり考えすぎずに、思いつくままに挙げてみた。
・「恐竜のコスチュームを着た人が同じ場所に一度に集まる人数」の世界記録を打ち立てる試みを開催したこと
・東欧を夜行列車で旅したこと
・久しぶりに旧友と再会したこと
・意義に共感した慈善事業やキャンペーンでボランティア活動をしたこと
・本の執筆の際にぶつかった壁を乗り越えて原稿を進めたこと
・自分のイベントチームを障害物競走のアクティビティに連れて行ったこと
・大観衆の前で舞台に立ちスピーチをしたこと
 魔法のような瞬間は、ユニークな一度きりの経験(世界記録に挑戦するイベントを開催したことなど)から生まれる場合もあるし、頻繁に行っていることから生まれる場合もある。
 繰り返しの行動で「生きている」ことを実感した経験として頭に浮かぶのは、屋外でのランニングだ。毎回、魔法のような瞬間を経験するわけではないが(たいていは経験しない)、頻度は少なくても、ランニングの最中に「生きている」と実感することはあるし、私にとってそれは追い求める価値のあることだ。

――『人生は気づかぬうちにすぎるから。「自分第一」で生きるための時間術』より

人は、「自分が何に心を動かされるのか」を理解している人を、自然と軽く扱わなくなる。
逆に、何を聞いても「別に」「なんでもいい」と答えていると、相手からは“中身が見えない人”に映ってしまう。

自分の軸とは、立派な信念のことではない。
「自分は、どんな瞬間に生きていると感じるのか」を知っていることだ。

その感覚がある人は、会話の中でも、人生の中でも、少しずつ扱われ方が変わっていく。

(本稿は、『人生は気づかぬうちにすぎるから。「自分第一」で生きるための時間術』の発売を記念したオリジナル記事です)