書斎で頬杖をついて読書する男性写真はイメージです Photo:PIXTA

世間では良書と言われているが、読破できなかった本はないだろうか?こうした本に出会ったとき、私たちは自分の読解力が足りないと落ち込むものだ。しかし、「東大・京大で1番読まれた本」(大学生協の販売で長年トップのロングセラー)で知られる『思考の整理学』の作者・外山滋比古は、そう深刻に考える必要はないという。※本稿は、外山滋比古『乱読・乱談のセレンディピティ』(扶桑社)の一部を抜粋・編集したものです。

本を最後まで読めないのは
普通の人間にとって当たり前

 本は最後まで読み通さなくてはいけない。途中で投げ出すなんて、意志が弱いのである。

 わからなくても、おもしろくなかろうが、200ページくらいの本を読み通せなくてどうする。心を鬼にしても最後のページまで攻め立てよ。読み終えたときの達成感はほかでは得られない。そしてこれはいい本だった、と思う。

 さらに、この著者はえらい、と思う。本を出した出版社も良心的である、などとすべてがバラ色に見えるのである。

 それは読書家のこと。普通の人間にとって本を読み切るのはたいへんな荒業である。しようと思ってできることではない。

 最後まで読み切った本がないまま一生を終わる人は決して例外的ではない。

 しかしそういう人もダメ人間ではない。

 本はくりかえし読め、はっきり、そういう人は少ないが、良い本や難しい本は一度ではわからないことがある。一度でわからなくてもあきらめずに再挑戦してみよという考え方もある。

 実際、読み返して成功したケースもある。近代日本における知的巨人のひとり新渡戸稲造は、カーライルの『衣裳哲学』を三十何回か読んだと伝えられている。