男女の色恋に関して、百戦錬磨の芸者だけのことはある。嫉妬こそ最高の前戯、という男女の本能を知っているのだ。最近では、NTR(寝取り・寝取られ)という隠語で知られている。
翌日。辻和子は角栄と競馬にいく予定だった。そのときの同行者が政界の実力者で保守合同の立役者、大野伴睦だった。競馬場でなぜか角栄は気もそぞろで、大先輩の大野伴睦に挨拶すると、競馬場をあとにした。
心配する辻和子に向かって角栄は――
「あっ、これですね。昨夜、お客様にピューッとつけられちゃったんですよ」
「あっ、そうか。気になって、しょうがない」〉「熱情」より。
角栄は肩で大きく息をするのだった。このとき角栄は完全にNTR状態で、嫉妬と興奮に身を焦がしていたのだろう。辻和子のほうが一枚上手である。芸者を囲う旦那にとって、こんな嫉妬の嵐は毎度つきものだ。旦那の多くはむしろNTRの快楽を味わっていたのではないか。
花街に生きる女性たちの
価値観とその後の人生
神楽坂一の置屋(編集部注/芸者を抱え、料亭や茶屋などの客の要望に応じて芸者を派遣する業者)、金満津の女将、辻むらが亡くなったのは先述の山科が高校3年、1975年のことだった。
「神楽坂中の香典袋が全部売り切れたという話があるんだけど、たぶん本当だと思う。香典袋と線香が売り切れたのははじめてだったらしい。歌舞伎役者とか芸能関係とか芸者関係、いろんな人がずらーっと集まってた。人だかり、ぎゅーぎゅー。園遊会(編集部注/天皇・皇后両陛下が主催する、東京・赤坂御苑で毎年春と秋の年2回、開催される社交行事)みたいに。
親と待ち合わせしたんだけど、お葬式にいくのに、どこそこにきたらここにきなさいっていわれ時間を指定されて、それで迎えがきてくれて、金満津に連れていかれた。毘沙門天の真裏にあたるところ。
人をかいくぐって建物のなかに案内されて線香をあげた。ほんとにすごい人だかりで。歌舞伎役者の岩井半四郎もきてた。辻和子さんの踊りの師匠だったから。
『花街アンダーグラウンド』(本橋信宏、駒草出版)
神楽坂のカリスマ的存在だった金満津の辻むらが亡くなると、次の代を継ぐのは辻和子とされたけど、すでに田中角栄が正式に辻和子を身請けして、芸者じゃなくて、自分の嫁みたいなものにしちゃったから、跡を継ぐこともなくなっちゃったわけよ。それで金満津は廃業しちゃった。辻むらさんには旦那さんはいなかった。おみっちゃん(編集部注/小倉みつ。金満津の番頭で辻むらの右腕として芸者を仕切った)も生涯独身だった」
辻むら、おみっちゃんのほかにも花街には、生涯独身をつらぬく女は珍しくない。色恋が常に身辺にある花街の女にとって、結婚は二の次、むしろ重荷になる場合がある。
「花街では金があろうが、ネチネチした男はダメ。払うときは払う。べろんべろんになって、いつまでも席を立たないのは嫌われる。引き際に男の差が出るとは辻さんもよくいってた」







