信長包囲網と織田軍の出陣
一方その頃、織田信長はかなりの苦境に立たされていました。信長によって京を追放され、毛利家に身を寄せた将軍・足利義昭が、各地の大名に反信長の呼びかけを行い、いわゆる「信長包囲網」が再び形成されつつあったからです。
北に上杉、南に石山本願寺、西に毛利、東に武田勝頼。四方を敵に囲まれる中、七尾城の救援要請を受けた信長は、これ以上の上杉の勢力拡大は、自身の不利になると考え、柴田勝家を総大将に任命すると、豊臣秀吉、滝川一益、丹羽長秀、前田利家らが率いる大軍を北陸へと派遣したのです。
しかし、この時点で、織田軍の総大将、柴田勝家は、七尾城がすでに陥落していた事実を知りませんでした。
手取川を越えてしまった柴田勝家
織田軍は、七尾城が健在であると信じたまま進軍し、手取川を渡河しました。しかし、そこにいたのは、すでに城を制圧し、手ぐすね引いて待っていた、上杉軍だったのです。
折しも急な大雨で、手取川の水が増水し、撤退しようにも織田軍は思うように動けません。そんな混乱の中で上杉の攻撃を受けた織田軍は、少なからぬ被害を出したと言われています。
北陸方面を攻めていた柴田勝家(演:山口馬木也)は秀吉に激怒する (C)NHK
“織田軍大敗北”は本当か?
この戦いについては、従来「織田軍の大敗」とされてきました。その根拠の一つが、上杉謙信自身が、国衆の神保覚広に宛てて書いた手紙です。そこには、織田軍が多数溺死し、壊滅的打撃を受けたと記されています。
しかし近年、この評価には慎重な見方が出てきています。というのも、この手紙は、情勢不安定な国衆に対し、上杉方への帰属を促す目的で書かれた可能性が高く、戦果が誇張されている恐れがあるからです。
つまり、「勝敗としては上杉の勝利」であったとしても、「壊滅的な大敗」とまでは言えない可能性があるのです。






