「JR再統合」を今こそ論じるべき理由、成功とされた国鉄分割民営化の“限界”Photo:PIXTA

JR利用で体感する
「見えない段差」

 のぞみに乗車して、東京から広島まで行くと、新大阪を過ぎたあたりで、東京―新大阪間では姿を消したはずのワゴンサービスが、山陽区間に入ると現れる。同じ列車、同じ車両、同じ指定席なのに、サービスが突然変わる。乗客には見えない「会社の境界線」が、旅の体験を分断している。

 東京から三島経由で修善寺を目指す場合、その違和感はもっと切実になる。首都圏では当たり前に使えるSuicaが、三島駅ではそのままでは出場できず、精算機前に行列ができることがある。さらに先の路線ではICカードが使えず、紙の切符を買い直さなければならない場面も生じる。

 日本人なら「会社やエリアが変わるから」と理解できても、訪日客には一本の旅の途中で決済手段が突然無効化される不可解な体験に映るだろう。

 この種の「見えない段差」は、1987年の国鉄分割民営化が引いた線の上にある。国鉄改革は、当時の赤字体質、政治介入、労使対立を断ち切るという意味では大きな成功だった。

 しかし、人口減少、インバウンドの増加、デジタル化、脱炭素、グローバル資本市場という条件の下で、その制度がなお最適なままであるかは別の問題である。いま必要なのは、「分割の歴史的役割は終わったのではないか」と問うことだ。