自分の組織では正しいはずの判断が、社会全体では誰の得にもなっていない。一人ひとりは懸命に働いているのに、社会はなぜかバラバラに軋んでいく――そんな漠とした不安を抱える人がいるかもしれない。この行き詰まりの正体を半世紀以上前に見抜いていたのが、『イノベーターの条件 社会の絆をいかに創造するか』である。本連載では、膨大なドラッカーの著作を読み返し、その中から令和の現在に役立つ知を取り出して紹介していく。(構成:ダイヤモンド社書籍編集局)

ドラッカー貢献する組織

極限まで組織が並び立つ社会

 ドラッカーは現代を「多元社会」と呼ぶ。企業、病院、大学、行政――社会的な役割を担う無数の組織が並び立ち、それぞれが自らの目的だけを追う社会のことである。

 かつての社会では、一つの権力が全体を束ねていた。だが今は違う。本書には、こう書かれている。

今日の組織社会では、新しく登場してきた組織のいずれもが自らの使命にしか関心を示さない。他のことにはいかなる力も行使しないし、いかなる責任ももたない。

――『イノベーターの条件』

 令和のいま、この多元化はさらに極限まで進んだ。それぞれの組織は自らの使命に忠実であろうとするほど、社会全体の共通の問題からは目をそらす。誰も全体の面倒を見ない。組織の縦割り、部分最適による機能不全、そして個人の孤立は、その帰結だと言えそうだ。

組織は「何を捨て、何に集中するか」

 では、軋む社会をふたたび機能させるには何が要るのか。ドラッカーの出発点は、組織はそれ自身のために存在するのではない、という一点にある。

 組織は社会のための道具であり、その評価基準は組織の内側ではなく外側にある。組織の値打ちは、社会に何をもたらしたかで決まるのだ。

 だから組織が問うべきは「何を捨て、何に集中するか」だという。象はノミのように高くは跳べない。組織も規模が大きいぶん、一度に取り組めることはわずかしかない。あれもこれもと抱え込めば、本来果たすべき社会的な役割すら見失う。多元社会の組織が機能を取り戻す第一歩は、自らの使命を一点に絞ることにある、というのがドラッカーの主張だ。

「実りによって知る」

 そして本書の核心、正統性の議論がポイントとなる。多元社会の組織は、伝統的な権威にも、被支配者の同意にも、自らの存在根拠を置けない。では何が組織の存在を許すのか。ドラッカーの答えは一つしかない。成果である。

いずれの組織も、自らの目的を明確に規定するほど強くなる。自らの成果を評価する尺度と測定の方法を具体化できるほど、より大きな成果を上げる。自らの力の基盤を成果による正統性に絞るほど、正統な存在となる。

――『イノベーターの条件』

 ドラッカーはこれを「彼らの実りによって彼らを知る」という聖書由来の言葉で締めくくる。肩書きや過去の権威ではなく、外の世界にもたらした実りこそが、組織の存在理由だというのである。

働く者と組織を、再び調和させる

 ただし、組織は人がいなければ何もできない。ドラッカーは、知識社会において働く者はもはや組織の歯車ではなく、自らの目的を達成する道具として組織を見るようになっていると指摘する。彼らは自分の志を組織に従属させることを、強く拒むようになっている。

 ここに、現代の個人の孤立を解く鍵がある。組織が働く者にできるのは、組織自体の機能と、働く者の目的・価値・ニーズとを調和させることだ、とドラッカーは言う。組織の機能を中心に置きながらも、そこで働く一人ひとりが「自分の仕事には意味がある」と感じられる――その接点を取り戻すことが、ばらけた個人を社会へとつなぎ直すのだろう。

社会を組み替える世紀へ

 多元社会が再び機能するとは、無数の組織がそれぞれの機能を成果によって果たし、そこで働く者の目的とニーズをふたたび調和させることに、社会全体が集中する状態にほかならない。ドラッカーが本書で繰り返し説くのは、そのために必要なものだ。

 ドラッカーは、21世紀に不可欠なものとして社会的・政治的イノベーションを掲げる。20世紀が社会の激変に翻弄された世紀だったとすれば、21世紀は私たち自身が新しい仕組みを生み出す世紀でなければならない、と。

 組織が「実りによって」自らを問い直し、社会のニーズを負担ではなく機会として引き受け、働く者との調和を取り戻す。その地道な積み重ねこそが、極限まで多元化し行き詰まった社会を、内側から組み替えていく道なのだろう。ドラッカー社会論の半世紀以上にわたる蓄積をまとめたこの1冊は、さまざまな分断に揺れる令和の私たちにこそ、社会の絆をいかに創り直すかという問いを差し出している。