私たちは悲しみ、怒り、不満の感情を一通りぶつける。
その後、妻から、早朝に辺野古漁港へ一人で向かったこと、船には花一つ手向けられていなかったこと、一緒に献花をしてほしいことを強く伝える。前日の記者会見内容に関する質問を行う。通夜・告別式への参列を希望する生徒が出ていることを報告し、学校側での対応を依頼する。
12:55 琉球大学病院へ
司法解剖の結果を聞きに向かう。同行:教頭先生・学年主任。
病院で海保の方2名が合流。
13:30 海上保安部と現場献花についての打ち合わせ
解剖結果を聞くまでの待ち時間、海上保安部の方と転覆地点での献花に関して打ち合わせを行う。
・米軍基地内への立ち入りは、現状、海保から許可を通すのは難しい
・辺野古漁港にはメディアがいる
・海上保安庁の巡視船・ボートは波の状況を考えると難しい
・今回の滞在中は見送り、もう少し時間をおいてからの方がよいかもしれない
・平和丸は今日10時過ぎに協議会の敷地に移動されたので、今は平和丸を見ることはできない
辺野古で静かに平和丸を確認することができるのは、妻が朝行ったあのタイミングが最後だったと考えると、妻の行動力にも「呼ばれた気がする」にも、私は異論なんて言えない。
13:32 キャンプ・シュワブからの回答
キャンプ・シュワブから妻の携帯に連絡が入る。「上層部に話を通したので、本日いつでもいらしてください。」
打ち合わせ中だった海上保安部の方にキャンプ・シュワブから献花の許可がおりた事を伝えると、大変驚いていたが、以後の細かい交渉は海上保安部が引き継ぐことに。
13:50 医師から司法解剖の結果を聞く
・溺死であること
・詳細な死亡時刻はわからないこと
・傷に関する説明
・一般論として、苦しさは短時間である、ということ
14:30
葬儀社に遺体を引き渡す。大学病院から安置所への車の見送りは、家族、教頭先生、学年主任、海上保安部2名。私たちに同行していた教頭先生は、これから校内対応で京都に戻る旨を私たちに伝え、ここで行動を別にする。県庁に立ち寄った後、病院に到着した校長先生・法人事務部長の2名が合流。
キャンプ・シュワブへ向かう。(同行:校長先生・法人事務部長・学年主任・海上保安部2名)
15:00
知華の同級生から、葬儀への参列を希望する声が多く届く。搬送場所と日時の変更は難しいため、会場を広い場所に変更できるか葬儀社と火葬場へ申し入れを行う。学校側から、参列する生徒のホテル手配と交通費は学校が負担することが示される。
長女は、参列希望者の人数を確認するためのアンケートフォームを作成する。事故後から積極的に連絡を取ってくれていた知華の親友に、同級生への周知を依頼。
15:52 キャンプ・シュワブ到着
到着時、ビジターセンター入り口で関係者の方々が外で待機し、出迎えてくれた。海上保安庁と米軍が調整し、私たち遺族5名と学校関係者3名(校長先生・法人事務部長・学年主任)の同行が許可された。基地関係者の方が運転する車で移動を開始。まず工事エリア外の岸壁へ案内された後、責任者の許可が下り、転覆現場に最も近い工事現場へ移動することができた。







