ヨーコとの会話をあの手この手で
邪魔をするジョンレノン

 ヨーコさんはよほど日本へのノスタルジーが強かったのか、ジョンを無視して、僕とばかり、日本の話をするので、ヨーコさんに相手にされないジョンは、自分に関心を持たせるために、様々なデモンストレーションを演じるのだが、それがおかしくって仕方がなかった。

 ヨーコさんと僕が夢中になって話し始めると、チョッカイを出したくなるのか、ジョンは2人の会話を阻止するために日本語で「ハッケヨイ、ノコッタ、ノコッタ」と相撲の行司のマネをしたり、プレスリーの「ブルー・ハワイ」を僕にヘッドフォーンで聴かせたり、山ほど買ってきたカウボーイシャツを次々と着てみせたり、タイムズスクエアーで売っている鳥のブーメランを部屋の中で飛ばしたり、かと思うと突然ピアノを弾いてみたり、僕にフォトセッションをやろうよと持ちかけたり、とにかく、じっとしていないジョンだった。

 そして次の日、正月特別番組の「デビッド・フロスト・ショー」というテレビに出演するので、一緒に出演しようよと誘われた。タイムズスクエアーのテレビスタジオでのライブコンサートに僕も引っ張り出されて、ステージから紙ヒコーキを飛ばすパフォーマンスを演じることになった。

 ジョンとヨーコとのジョイントコンサートに参加したのは僕の一生の想い出になった。

ジョンが撃たれた場所で
たまたま転んでしまった

 その後、ジョンは不慮の死を遂げることになるが、その現場のダコタハウスの入口で、僕は足を滑らせて転倒してしまった。

 その場所はジョンが銃で倒れたのと同じ場所だったが、守衛の人達やヨーコさんらに囲まれて、僕は地面に倒れたまま、頭上で輪になって僕を見下ろす人達の顔を下から見上げた時、ジョンが丁度このようなシチュエーションであったような気がして、まるで撃たれたジョンと同じ気持になったものだった。

 ジョンの亡きあと、ヨーコさんはしばしば日本に来るようになって、来日するといつも必ず僕のアトリエに遊びに来てくれるようになった。