未来を予測する確実な方法
繰り返しますが、この内容はメインフレームという巨大なコンピューターが主流だった、1977年に発表されたものです。ノートパソコンもタブレット端末もまだ誰も見たことがない時代。
なぜ、アラン・ケイはここまで未来を予測することができたのでしょうか。この問いへの答えになるのが、彼自身の言葉です。
「未来を予測する最良の方法は、それを発明してしまうことだ」
(The best way to predict the future is to invent it.)
彼は続けて「未来は、あらかじめ引かれた線路の延長上にあるのではない。それは、われわれ自身が決定できるようなものであり、宇宙の法則に逸脱しない範囲で、われわれが望むような方向に作り上げることもできるのである」(前出書)と説きました。
この言葉は「これからどんな時代になるの?」「何が起きるの?」と、いちいち研究所に聞きにくる実業家に対して放たれたものです。ちなみに研究所の他のスタッフも気に入ったのか、この言葉は後にPARCのスローガンに採用されました。
話を戻します。アラン・ケイと同僚たちも、当時、ダイナブックのビジョンをそのまま完全に叶えるものは、実現できませんでした。代わりに、当時持ちうる技術を使い、「暫定版ダイナブック」として、ひとつのパーソナル・コンピューターを開発。「アルト(Alto)」という名前をつけました。
その頃のPARCを、ひとりの若い起業家が訪問しています。記録によれば、1979年11月。彼はアルトを見て、これこそが80年以降に主流になるパソコンだと衝撃を受けました。
自社に戻った彼は、仲間たちにアルトの素晴らしさを「わめきちらした」といいます。そう、若い起業家とはアップル・コンピューターの社長だったスティーブ・ジョブズ。アルトから受けた刺激を忘れぬまま開発したのが、「リサ(Lisa)」と、やがて世界を席巻する「マッキントッシュ(Macintosh)」だったのです。