未来を発明するビジョナリーワード

「ビジョナリーな人」という表現があります。アップルのスティーブ・ジョブズも、ソニーの井深氏も、アラン・ケイも、その代表的な人物であることは言うまでもないでしょう。

 しかし、ビジョナリーという表現を「先見の明がある」とか「洞察力がある」と捉えてしまうのは、少し違うのではないかと考えます。

 英語のVISIONには、「視覚」や「風景」の他に「想像力」といった意味が含まれています。ビジネスで使われる「ビジョン」という言葉が意味するものは、本来、世の中を眺めていて勝手に見えてくるような風景ではありません。むしろ、「こんな未来にしたい」という意思の中にある風景を意味します。

 ビジョンとは「見えるもの」ではなく、「見たいもの」。「未来予測」ではなく「未来意思」。アラン・ケイの言葉を借りれば「未来を予測するのではなく、つくりだす人」こそが、ビジョナリーと言えるでしょう。

 そしてここでは、そんな未来を発明した人々の、未来を発明した言葉に注目します。パーソナル・コンピューターが開発される前に、「パーソナル・コンピューター」という言葉が生まれていました。ポケットに入るラジオが完成する前に、「ポケットに入るラジオ」という言葉が発明されていました。実体のない未来を示す言葉は、ときに馬鹿にされ、ときに物議を醸し、それでも人を熱狂させ、仲間を駆り立てました。ビジョナリーな人を、ビジョナリーと言わしめたものは言葉であるはずなのです。

 想像の中の未来を鮮やかに言い当てる。変革の行方を指し示す。そうやって、未来の骨格となる言葉をここでは「ビジョナリーワード」と呼びます。

 ビジョナリーワードが、企業やNPOなどの組織、または国の未来を表す場合には、シンプルに「ビジョン」と呼びます。また、ビジョナリーワードが、商品の未来を語る場合は、単純に「コンセプト」と呼ぶことにしましょう。

 たとえば「パーソナル・コンピューター」というたったふたつの英単語からなるビジョナリーワードは、PARCや当時のエンジニアたちを主語にすれば、目指すべき未来を生んだ「ビジョン」ですし、アルトやリサといったプロダクトに目線を向ければ「コンセプト」として機能したとも言えます。

 断っておきますが、ビジョナリーワードとあえて表現するのは、別に新しい言葉を流行らせたいからではありません。既存のビジョンやコンセプトという言葉でバラバラに表現してしまうと逃げていってしまうニュアンスを、捕まえておきたいからです。