写真を見ると、第10サティアンの1階入り口には段ボール箱などが散乱している。警察官は靴を履いたまま中に入ったという。トイレが1階に設置されていたが、子ども用には「おまる」が置かれていただけだった。

 2階に上がると、サンドバッグが吊り下げられた武道場、そして棚状のベッドがいくつも並ぶ居室が広がっている。ベッドには段ボールが敷かれたり、寝袋が置かれたりしていた。居住空間には窓がなく外光が入らない代わりに、昼夜分かたず蛍光灯が明々とともっていた。壁に貼られた「教学進行表」によると、「死と転生」「尊師に聞く」「帰依の対象 それはグル」といったビデオを観た後に、試験が課せられていたことがわかる。電流が流れる帽子「ヘッドギア」を格納する棚もあった。一時保護当時、子どもたちが座っていた場所の床は汚れ、物が散乱していた。

 このとき、実際に教団施設に踏み込んだ警察官が、甲府放送局の赤木雅実記者の取材で見つかった。石和警察署の警部補だった花形友夫さん(75歳)だ。サティアン内部の鼻をつく悪臭が花形さんの記憶に残っている。

「垢の臭いとか、ゴミの臭いとか、そういうのが入り混じった臭い。これは常識的なところに住んでいる子どもたちではないな。麻原彰晃からしてみればユートピアかもしれない。でも、はっきりいって、かわいそうな子どもたちだと思いました」

 花形さん同様、現場に踏み込んだ警察官はみな、子どもたちが暮らす劣悪な環境に驚いた。学校にも通っておらず、親も近くにいない。まして、子どもたちが暮らす第10サティアンの隣には、サリン製造工場とみられる第7サティアンがあった。このまま子どもたちを危険な場所に放っておくわけにはいかなかった。

オウム施設に家宅捜索に入った
山梨県警のいちばん長い日

 1995年4月14日午前7時、山梨県警は家宅捜索に入った。7時58分、「今、捜索しているが、状況によっては児童の保護をお願いすることになるかもしれないので、よろしくお願いします」と児童相談所に電話で連絡。この瞬間から、山梨県中央児相の職員にとって長い1日が始まった。

 一時保護については事前に、次のような法的整理がされていた。すなわち、「保護者のない児童又は保護者に監護させることが不適当であると認める児童を発見した者は、これを福祉事務所又は児童相談所に通告しなければならない」という児童福祉法第25条(当時)に基づき、警察官が山梨県中央児童相談所にオウムの子を通告。