警察官に抱かれ次々と児童相談所に運び込まれるオウム真理教信者の子供たち=1995年04月14日、山梨県中央児童相談所警察官に抱かれ次々と児童相談所に運び込まれるオウム真理教信者の子供たち=1995年04月14日、山梨県中央児童相談所(※オンライン記事にのみ使用している画像です) Photo:SANKEI

1995年4月14日、オウム真理教の教団施設に踏み込んだ警察官たちが目にしたのは、外界から隔絶された環境で暮らす53人の子どもたちだった。窓のない居室、昼夜消えない蛍光灯、頭には“ヘッドギア”。「放して、放して」と泣き叫ぶ子どもたちはなぜ一時保護されたのか。メディア取材で開示された児童相談所の記録と関係者証言から、地下鉄サリン事件直後の教団施設で起きていた出来事をたどる。※本稿は、NHK「クローズアップ現代」取材班による『オウム真理教の子どもたち』(集英社インターナショナル)の一部を抜粋・編集したものです。

「垢やゴミが入り混じった」
臭いが漂う第10サティアン

 1995年3月20日、都内を走る地下鉄の三つの路線で猛毒サリンがまかれ、14人が死亡、約6300人が被害に遭った「地下鉄サリン事件」。この2日後の3月22日、警察は、上九一色村の教団施設に強制捜査に入った。毒物を使った反撃があるかもしれないと、検知用のカナリアを連れて行く姿が繰り返しテレビニュースで流れた。

 その際、教団施設の中で、子どもたちが劣悪な環境で集団生活を送っているのが確認された。このときに撮影された写真が、今回開示された児童相談所の記録の中に残っていた。山梨県警察本部職員による「写真撮影報告書」で、撮影日は3月22日および4月14日と記されている。なお、この報告書は警察本部には残っていない。

 警察から児童相談所に提供されたものが、今回の開示請求で出てきたものとみられる。

 事件後に山梨県がまとめた「オウム真理教対策の記録」によると、第10サティアンは鉄骨造り3階建てで、延床面積は約3400平方メートル。礼拝堂や体育館のほか、信者の居住スペースがあった。なお、サリン製造の化学工場があったのは、第10サティアンに隣接する第7サティアンである。