
直美を捨てた母への思い
シマケンは自分の書いた事実に創作を織り交ぜた半分創作記事で世間が動き出したことに怯え始めていた。
「あれくらいの誇張は問題ない。名前も変え、嘘はついていない。社会に、遊郭の歪さを訴えることが肝要だ」と綿貫(小松和重)は言う。小説家だけにドラマティックにするのがうまいと評価していた。
「自分の書いた文字で、人が、社会が動き出したら怖くなった」
「こんな記事1つ書けずに書けんのかい、小説が。お前って人間さらけ出すんだろう?」と綿貫に発破をかけられて、シマケンは複雑な気持ちでいる。
綿貫が言うことにも一理あるが、シマケンはこれからどうするのだろう。
直美は思いきって、セツ(夕凪)に、直美の母の源氏名も「夕凪」だったと切り出す。
「会ってみたいか?」と聞くセツに、「どうでしょう。分別がなかったとしか思えないんで…。人は産んでおしまいってわけじゃない。いっぺん生まれちゃったら、生まれる前に勝手に決まってた掟の中で生きていかなきゃならない」と答える直美。
質問には「どうでしょう」とぼかし、自分語りをはじめる。脚本家・吉澤智子はリアルな人間社会をよく見ている。他人同士、基本、こんな感じで、ドラマのようにいい感じにキャッチボールになることはない。
ただ、だからこそ、リアルな現実を描写されると、日常の苛立ちが思い出されて、いい思いがしないのだと思う。ドラマくらいはコミュニケーションが円滑に進んでほしい。そんな視聴者もいるが、今回はあえてのやや噛み合わないぎこちない会話のリアルが追及されていく。
ともあれ、現代における親ガチャに対する直美の忸怩(じくじ)たる心境がわかった。どうせ生むなら、理不尽な世のルールで苦労させないでくれという気持ち。この世界で生き残ることにほとほと疲れているのだろう。
直美やセツを苦しめてきた勝手に決まった掟とは――
みなしごは白い目で見られる。
女がまともに働ける仕事はない。
女の髪は長くなきゃおかしい
米作ってる者は米が食えない。
鯛取ってる漁師は鯛を食えない。
貧乏人がもらえる仕事は安い。
貧乏で売られるのは娘。
現代ではだいぶ改革されたこともあるが、現代でも変わってないような気もしないでない。
「どんな親でも、産んでくれたんだから、ありがたいと思えるなんてきれいごと。子を産めば全て帳消しになるなんて、とても私には」と言う直美に、セツは言う。
「でもね、大家さん。たいていの女郎は子どもは産まないし、産めないもんだよ」
セツの台詞の真意について考えるのは、第53回を見てからにしよう。








