「どんな人でも優しくなんかできない」

セツが退院する間際、思い出したことがあった。
「私が夕凪って名をつけられたのは、昔、うちの店にいた夕凪って女郎と同郷だったからだって。富士の見える伊豆の漁師町の生まれだから同じ名をつけられた」
母の出身地は有力情報だ。
去りゆく夕凪にりん(三上愛)は「もし行く当てがなければ」、直美は「どこか」と助け舟を出そうとする。
再び、教会→長屋のパターンを考えているのか。
だがセツは好意に甘えず、自分の足で歩いていくと言う。自由意志で行動することがとてもうれしそう。
そんなセツとの出会いによって直美には大きな気づきがあった。
「何か分かったかもしれない。私の“助けたい”の正体」
「私が助けたいのは、つい味方したくなるのは、負けてる方、弱い方、不利な方なんだなって。その中に、病気の人、けがをした人、患者さんが入っているのかも」
「人を助けたい。病気を回復させるだけじゃなくて。それに正直なこと言うと、どんな人にでも優しくなんて、私にはできない。今回も…セツさんだったから。偉そうな患者には腹も立つし、金持ち、いい家の人ははじめっから苦手だから愛想笑いで誤魔化してる」
「どんな人でも優しくなんて、私にはできない」という直美の正直な気持ち。
第53回で直美は「金持ちも貧乏も、男も女も、病気や怪我をしたら当たり前に受けられる看護じゃなきゃおかしいと思います」と言っていた。
バーンズ先生(エマ・ハワード)の究極の問い――「いい人でなければ、死んでもいいのですか」に、直美なりに出した回答がこれなんだろう。いや、なかなかすごい。
ただ、ここで早合点してはいけない。
「優しくなんてできない」だけで、厳しくしながらも死なないように看護はするのだ、愛想笑いしながら。
直美の母親に対する考えにも変化があった。
「(母と)いつか会えるといいね」とりんに言われ、「今はいいかな会わなくて。私を産んだってだけで、十分って思えたから、どこかで生きてくれていれば、元気でいてくれれば、私はそれでいいや」
このときの直美の表情がまた毒気が抜けている。どんどん彼女は清らかになっている。







