幸いなことに、彼女は毎回10分程度、自分が学んだ医学について私に話して聞かせることで、私の好奇心を刺激しながら授業を続行させるというメソッドを早期に確立した。私は彼女の「面白い話」という報酬によって授業の意義を見出し、面白い話題を提供する彼女の期待に応える合理性を見出した。結果として宿題も真面目にこなすようになった。
なにより、彼女は教えるのが上手い人物だった。自らが教えるべきだと思ったことではなく、教える必要があることを教えることの重要性を熟知していたのだろう。だから、彼女は私と何をやるかを相談した上で課題を始めた。実際私は物覚えが良いほうではあるから、わざわざ知っていることを繰り返して学習するよりも、それらはおさらい程度にして、新しいことを重点的に学習するほうが高効率だったのも事実である。
志望校を選ぶ際に
必要だったことは?
さて、書き障害がある私が中学受験でどのような作戦を採用したのか、というのは読者のみなさんの興味のあるところだろう。
まずは大多数がやるように、志望校を決めなければならない。とはいえ、私は極めてマイペースな性格なくせに、知的好奇心だけは人並み以上という困ったやつだから、自分のニーズに合う上に、自宅から通える距離の学校はあまりなかった。しかも書き障害の私には、合理的配慮が提供されるか、合理的配慮の必要がないぐらいIT化が進んでいる学校である必要があった。
今は違うが、私が中学受験をした2022年当時、私立学校での合理的配慮は「努力義務」だった(現在は私立・公立とも義務)。この厳しい条件をくぐり抜けて、どうにか私は条件に合いそうな2校を見つけた。仮に、1つをA校、もう1つをB校としよう。A校は、グローバル化と探究型授業をウリにするミッション系の学校であった。一方B校は、同じようにアクティブ・ラーニングを掲げる学校で、学習者主体の学習プランの提供を理念とする新興校だった。
次に問題なのは、書き障害であることをいつ学校に伝えるかであった。当時ははじめから書き障害や合理的配慮云々を伝えると受験すら拒否される可能性があったからである。しかし、後から満足な配慮が受けられなくても困るので、結局は学校見学の質問ブースで質問することにした(校長などの管理職がいる場合が多かった)。
『14歳、字を書けない私が「書く」喜びを手にするまで』(朝野幸一、新潮社)
まず、A校は「ペーパーワークが多く、負担になりかねない」という理由から私の受験を比較的しっかりと断り、B校だけが入学後の合理的配慮を確約した。しかし、B校は入学試験時は公平性を保つため、という理由で合理的配慮を拒否した。私は手書きでの受験を強いられたのである。
必然的に、ここからはB校に特化した受験プランを練ることになる。まず、我々はB校の受験スケジュールを確認したところ、思考型受験が可能であることがわかった。思考型受験とは、与えられた命題に対して総合的なアプローチによる解決策を提示させることで受験者の能力を推し量るタイプの入試法である(B校の場合はそれに加えて自分がやってきたことや入学に際しての自己アピールなどを聞かれる面接があった)。
これは私にとっては極めてありがたいことだった。私は教科受験のために物事をやたらたくさん覚えるのが得意ではあるらしいが、どうにも好かないからである。科学者(その実、哲学徒に近い)である父の影響かどうかはわからないが、どちらかというと社会問題の解決策なんかを練るほうが好きなのだ。
幸い、オンライン塾での国語の授業の最初の十数分は時事問題の解説等だったので、それらでなんとかやりくりしていた。







