また、農村から都市への人口移動が進み、核家族化が急速に進行していた時期でもあります。例えば1975年の国勢調査では、東京圏・名古屋圏・大阪圏の三大都市圏に総人口の約45%が集中するなど、都市部への人口集中が加速していました。

 都市に暮らす子世帯が、地方に住む親から野菜や米、特産品を送ってもらう、あるいは逆に贈り物を届けるという家庭間物流のニーズが、まさにこの時期に高まっていたのです。

事業開始が少しでも
早ければ成功しなかった!?

 しかし当時の物流業界は、法人向けの大量一括配送が主流で、個人宅への小口配送はコストも高く、制度的な制約もありました。例えば、運送業界には「路線ごとの免許制」があり、個人向けサービスはほとんど想定されていませんでした。

 ヤマト運輸は、この制度的制約を回避するため、「特別積合せ貨物運送」(不特定多数の荷主からの荷物を、一台の車両にまとめて積んで全国規模で輸送する運送事業の形態)の免許を活用し、1976年、満を持して「宅急便」をスタートさせたのです。

 これは、いまでは当たり前となった「電話一本で自宅まで集荷」「翌日配達」「時間帯指定」といったサービスを、当時の時代状況と制度環境を巧みに読み解きながら設計し、従来の法人中心の物流サービスでは満たせなかった、新たな個人市場を開拓するものでした。

 もしこのサービスが1970年以前、つまり高速道路網が未整備で、宅配のニーズも明確でなかった時期に始まっていたとすれば、採算は取れず、社会にも受け入れられなかったでしょう。逆に1980年代以降であれば、すでに他社に先を越されていた可能性すらあります。「1976年」という開始のタイミングは、まさにマクロ・メソの文脈が整い、宅急便が社会に浸透しうる臨界点だったのです。

 ヤマト運輸の成功は、単なる先見性の産物ではなく、社会構造・経済・インフラといった時代のコンテキストを見極め、その変化とタイミングを同期させる形で提供された戦略的サービスによるものでした。

 つまり、企業の成功とは「何をしたか」だけでなく、「いつ、どの文脈の中でそれを行ったか」によって決まる──宅急便は、その最良の実例と言えるでしょう。