社会科学・自然科学を
読まなければいけない理由

 社会科学、自然科学の本格的な書物を読まないライターは、偽物である。法学、政治学、経済学、社会学、文化人類学に精神分析学、はては数学に物理学や生物学と、そうした学問の果実を多少なりともかじっていない文章は、骨格が弱い。土台がゆるい。足腰が弱いから、遠くまで歩けない。長い時間もたない。すぐに腐る文章になる。

 たとえば、村上春樹の初期作品集を読めばすぐに分かる。軽妙で新鮮な、読みやすい文体で世に出たわけだが、少し注意すれば、マルクスはもちろん、ハイデガーやヘーゲルら、スーパーヘビー級の思想家たちと作家は格闘し、大ヒットした多くの恋愛小説群を書いているのがわかる。それを、チョコでくるんでいるだけだ。

 なぜ社会科学や自然科学なのかというと、(2)で述べたことと同じだ。たとえば数学は、ひとつの言語なのだ。表現形式をきわめて厳格にした言語。その言語=数学といういわば物差しを持って、世界を測っている。世界の認知の仕方を増やすことが、表現者の仕事だ。

優秀な古典作品とは
どこで出会えば良いのか

 述べたように、(1)、(2)については、古典を読まなければならない。古典とされているものには、いくつも優秀なリストがある。そのリストに載っている作品を片端から買い集めて、片端から読む。苦行に似たトレーニングだが、塾生にはそれを課している。それをしない塾生は、出入りさせない。プロである以上は最低限の筋トレだと考える。

 リストは、好みのものでなんでもいい。というのは、だいたいのリストは似通ってくるものだ。漱石や鴎外、トルストイやスタンダールやトーマス・マンの作品を一つもあげていないリストなど、考えられないではないか。

 ただ、「新潮文庫の100冊」などは古典のリストではない。自社製品の宣伝パンフレットなので注意しよう。おすすめのリストをあげるならば、(1)~(3)については、柄谷行人や浅田彰ら日本のトップ知識人による『必読書150』(太田出版)が決定版だ。好評で、新版も出ている。選者の1人、渡部直己による『私学的、あまりに私学的な』(ひつじ書房)の巻末リストも有用。