合格率が実績化することで
教育の目的がすり替わる
たとえば学校によっては、受験を希望する学生の中から、合格が確実と見込まれる学生だけを選んで受験させることがあるかもしれません。
逆に、準備が不十分な学生に対しては、「もう少し力をつけてから来年受けよう」と指導する場合もあります。こうした判断は、一見すると教育的配慮にも思えますが、結果的に「合格率を高める」効果をもつのです。
『「数値化」中毒 なぜ手段が目的に変わるのか』(小塩真司、PHP研究所)
また、試験の直前になって「今年は受験を見送ろう」と助言される学生がいるかもしれません。これは本人の成長を考えた丁寧な対応である一方で、受験を控えた学生の中には自信を失ったり、同級生との比較から劣等感を抱いたりすることもあります。学校全体の数値を高めるための判断が、学生一人ひとりの経験や感情に影を落とすこともあるのです。
合格率が高ければ高いほど、学校の実績として注目を集めます。結果として、合格率を「上げるための工夫」そのものが制度に組み込まれていくようになります。
受験を許可する基準が細かく設定されたり、合格者の割合を維持するために指導体制が再構築されたり、制度そのものが少しずつ「数字を守る仕組み」へと変化していくのです。
もちろん、どの学校も不正をしているわけではありません。多くの場合は、教育効果を高めるための合理的な努力として行われています。しかし、数値が評価の中心に据えられると、その数値を達成すること自体が目的になります。教育の本来の目的が、いつのまにか「合格率の維持」という制度優先の目標に置き換えられてしまうのです。







