脚本家たちが口を揃える
『相棒』の驚くべき自由さ

 実際、脚本家たちも口々に『相棒』の自由さについて驚きをこめて語っている。

 たとえば、参加したての頃「プロデューサーの皆さんがわりと『自由にやってください』というスタンスだった」と語るのは太田愛だ。プロデューサー側は、「誰かが好きに書いたものにいろいろ乗っけていくのが楽しいんですよ」と返したという。ほかのドラマでは登場人物について説明したキャラクター表が用意してあったりするが、それもなかった(『「相棒」シナリオ傑作選2』、316頁)。

 岩下悠子も、「何でもできる」ところが『相棒』の脚本を書く醍醐味だと言う。「どんなストーリーでも乗せようと思えば乗ってしまう。他の作品だと落としどころが決まっている場合が多いんですが、『相棒』は何でもありですから」(同書、228頁)。

 ストーリーだけでなく、キャラクターの人物像もそれぞれの脚本家が抱くイメージやアイデアをもとに自由に肉づけされていく。そのなかで誰かの書いたセリフが上手くはまれば、別の脚本家もそれを引き続き使い、キャラクターが膨らんでいく。

 神戸尊が杉下右京に対して反論するときに使う「お言葉ですが」はそのひとつ。長く続いた亀山薫の次の相棒となった神戸尊をどのようなキャラクターにするか、具体的には当初決まっていなかった。

 だが神戸尊が登場してまだ間もないシーズン8の第2話と第3話を担当した太田愛がたまたま書いたセリフ「お言葉ですが」が、亀山薫とは違った神戸尊の人となり、ひいては右京とのまだぎこちない関係を端的に表現する絶妙のフレーズになった。松本はそれを太田の「発明」だったと絶賛する(『オフィシャルガイドブック 相棒 Vol.3』、87頁)。

杉下右京のキャラ設定ですら
脚本家ごとにブレてもいい

 同時に、各脚本家が自由に登場人物を思い描くことで、キャラクターもよりリアルなものになる。

 たとえば、杉下右京のような名探偵型の刑事の場合、従来ならクールで頭脳明晰という部分だけが強調されていただろう。だが、『相棒』ではそうはならない。