些細な一言を、何日も引きずってしまう。もう終わったことだと分かっているのに、夜になるとまた思い返して落ち込む。そんな自分を「心が弱いからだ」と責めていませんか。アパレル史上最年少で上場した株式会社yutori代表・片石貴展氏の『自分の言葉で話せるようになりましょう。』をもとに、その苦しみの正体を解説します。(構成/ダイヤモンド編集局・淡路)
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二本目の矢を放っていないか?
二本目の矢を放つかどうかは、自分で決められる。
――『自分の言葉で話せるようになりましょう。』より
約2500年前、ブッダは「二本の矢」という話を説いた。
生きていれば、避けられない出来事は必ず訪れる。上司に叱られる。心ない言葉を浴びる。思いがけない失敗をする。その瞬間、心に「ぐさっ」と刺さる。これが一本目の矢だ。
一本目の矢は、他者や環境から飛んでくる。だれにでも刺さるし、自分では避けられない。
問題は、その後だ。
「あんな言い方しなくても」
「自分が悪かったのかな」
「もう嫌われたかもしれない」
一本目が刺さったあと、私たちは頭の中で、自己嫌悪と怒りと不安をぐるぐる回しはじめる。
この思考こそが、自分で自分に放つ二本目の矢である。
一本目の痛みは一時的で、いずれ癒える。
だが二本目、三本目を継ぎ足すと、苦しみは何倍にも膨らむ。
あなたがいつまでもウジウジ悩んでしまうのは、心が弱いからでも、出来事のせいでもない。この二本目を、自分で放ち続けているからだ。
ブッダはこう言ったという。
「普通の人は二の矢にあたって苦しむが、修行を積んだ人は二の矢は受けない」
最初の痛みは、そのまま受け止めていい。「痛いな」「悲しいな」と。ただ、そこから先、自分で自分を撃つのをやめる。
ここで、ひとつ見落としやすい落とし穴がある。
「自分が悪かったのかな」と自分を責めているとき、一見、意識は自分に向いているようで、じつは「他人がどう思ったか」という、自分では変えられない外側に向かっている。
自分を見つめることと、自分を責めることは、違う。変えられない外側の事情で傷ついた自分を、それ以上、自分で痛めつけないと決めることだ。
では、二本目を放ちそうになったら、どうするか。
五秒だけ黙る。そして、必死になっている自分を天井から眺めてみる。「いま、コントロールできない他人の言葉に振り回されて、ジタバタしてるな」と。少しダサくて、笑えてくる。
その五秒が、二本目の矢を止める。
苦しみを減らすのは、強い心ではない。痛みはそのまま、追い打ちだけをやめる技術である。
(本記事は『自分の言葉で話せるようになりましょう。』をもとに作成したオリジナル記事です)









