家は煎餅布団1枚
空だけがある幼少期
加藤さんは満州国ハルビン市で生まれ、2歳の頃に佐世保に引き揚げてきた。まだヨチヨチ歩きができるようになったくらいの時期だったが、その時期に覚えた言葉をのちに母親から聞かされた。
「引き揚げの最中に“お家へ帰ろう”って言ったらしいんです。家って言ったって、引揚者なんだから家なんてないの。あるのは1枚の煎餅布団だけ。それをグルグル巻いて持ち運べば、どこでも野宿ができますから。当時の私の家はその煎餅布団。柱も壁も屋根もない。だけど空はある。
家がない小さな子どもが“お家へ帰ろう”って皮肉な話でしょ。でも、周囲の大人たちにはウケたんだと思います。みんな可愛がってくれていたみたいですから。母親にはとにかく私が言った“お家へ帰ろう”がすごく残ったらしいです」
そのあと東京で暮らしていたとき、ある朝、加藤さんは母親にたたき起こされる。
「トコ、起きなさい!こっちへ来てみなさい。青空よ。綺麗よ!」
まだ眠い目をこすって母親がいる台所に行くと、昨夜まであった天井が綺麗になくなっていた。前夜の台風で飛ばされてしまったのだ。
「屋根が吹き飛ばされたのに、母は嬉しそうにしてるんです。“青空よ!綺麗よ”って。まあ、バラック小屋で屋根が飛ばされることは珍しくなかったし、損失も大きくはないんだけど」
自身の世界観には天井そのものがなかった加藤さんだが、母親がずっと「ガラスの天井」と闘ってきたことは、早い時期から感じ取っていたようだ。
加藤さんの母親は、大正ロマンの時代に若い時期を過ごしている。いわゆる「モボ・モガ」の時代だ。それゆえに内面では旧習的な価値観からは解放されていたものの、社会にはまだまだそれを縛り付ける慣習があった。
「女は勉強したらあかんって言われて育ったみたいです。女性が仕事をするのは家の恥と言われていた時代だから、家の手伝いをしなさいと言われるわけです。母は洋裁学校に通ったみたいですが、結局、仕事には就きませんでした。そんな話をよく聞かされたんです」







