……言われた息子がぽかーんとしているので、じゃあさ、と別の例をあげました。たまに、あなた(息子のこと)とぼんやり過ごす時間とか、ママに内緒で2人でラムネ食べてる時間とか、しょうもない時間だけど、これがなくなったらつまんないと、お父さんは思うな。

 息子は、大好きなラムネをしょうもないと言われて、やや引っかかったようですが、うん、と頷きます。

 なぜ息子は急にそんなことを言い出したのか?よくよく聞くと、学校という団体生活に馴染めずウソばかりつく子のことを誰かが「あの子はしょうもない」と言ったのだそう。そこで僕はさらに言います。

 それはそれでいいんだよ。お父さんなんて、ウソばっかりついてるよ。それがお父さんの仕事。お父さんの夢は、世界中の人たちをアクティングでだます、世界一のウソつきになることだ!

……息子がまたしてもきょとんとしているので、この話題はやめました。

「しゃーない」の
5文字に救われた

 さて、この「しょうもない」がなぜ嬉しかったのかと申しますと、父・忠夫が、よく使っていた言葉に似ているからなんです(似てるんです。同じではないですよ)。

 なにか大変なことが起こると「ま、しゃーない」、悲しいことがあっても「ま、しゃーない」。普通なら、おろおろしたり、パニックになる時にも、この「しゃーない」は鎮静剤のように心を落ち着かせ、全てを俯瞰させ、「そうだね」なんていって皆を笑顔に変えます。

 赤塚不二夫先生の「これで、いいのだ」、村西とおる監督の「ナイスですねー」みたいで、僕はこの言葉に幾度も救われてきました。

 ひるがえって僕は芝居の中の「しょうもない」時間が大好きです。それはどういう時間かといいますと、演じている人物が何も考えていない時間です。

 ドラマは尺が決まっていますので、台本は本当に大事な場面、つまり登場人物が何かしら目的を持って行動している場面しか書かれていません(基本的にはね)。

 さらに言うと、1時間、2時間のドラマは、数カ月、数年、数十年にわたる登場人物の人生のめちゃくちゃ大事な瞬間だけを凝縮して見せるので「ドラマ」になる訳です。何気ない日常も、その「ドラマ」を際立たせるために書かれています。だから台本には本来、不必要な場面はないと言えます。

『おつむの良い子は長居しない』書影おつむの良い子は長居しない』(高嶋政伸、新潮社)

 でも、その中にも時として、役の人物が何も考えていない時間が存在します。善人が善行を施している合間に、極悪人が非道なことをしている合間に、ふとぼんやりする時。つまり、無意識の領域ですね。

 台本を読んでいて、そんな瞬間が、作家の意思と関係なく垣間見えると嬉しくなります。この一瞬があるのと無いのとでは、役の深みが全く違ってくるんです。自分の演じている人物が、ただ何も考えていない「しょうもない」時間を過ごす、その表情はどんなものか、虚ろな目はどんなものか、それを考えるとワクワクします。

 ここにこそ、演じている人間の真髄があると思うからです。掛け値なしの優しさだったり、とんでもない狂気だったりがそこにはある。そんなわけで、息子に「あなたはしょうもない」と言われた時は、然り、と嬉しくなりました。