しかしキャリアは「これから」で再定義できます。
過去は履歴ではなく、素材です。
どう扱うかで、意味はいつでも変わります。
やりすぎが続くと、心はパンパンになり、身動きがとれなくなります。
「やりすぎ」に気づくと
「やらなさすぎ」が見える
しかし、問題を複雑に分析する必要はありません。
たとえば、栄養バランスを考えすぎてランチを選べなくなり、結局「あんまん」を買った……といったことを経験している人もいるのではないでしょうか。私です。
本当に必要なのは、何をやりすぎていたのかを見極めることです。
やりすぎが見えると、反対の「やらなさすぎ」も浮かび上がります。
考えすぎていたら感じなさすぎ。
人のために頑張りすぎていたら自分を大切にしなさすぎ。
自分を責めすぎていたら誰かに頼らなさすぎです。
過剰は過少を隠すので、両端の極を意識することで、心は自然とちょうどよいバランスに戻ります。
悩みとは「心が極端に傾いたサイン」です。
だから「なぜ悩んでいるのか?」ではなく、まずは「私は何をやりすぎたのか?」と自分に尋ねてみる。この問いに変えるだけで、次は「反対に何をやらなすぎたのだろうか?」と自動的に問いが浮かんできます。
極端な2つを考えれば、私たちにとってちょうどいい答えは見つけられます。
この考え方は斬新で習得が難しいものではありません。懐かしい考え方どころから、昔から使われています。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、「超過」と「不足」のあいだに徳があることを次のように説きました。
……場合により人は超過のほうへと、あるいは不足のほうへと傾かなければならない。なぜなら、そうすることで「中間」と「立派にやっていくこと」を、もっとも容易に狙い当てることができるからである。
――『ニコマコス倫理学(上)』P156
――『ニコマコス倫理学(上)』P156
「私にとってちょうどいい答え」は、どんなときも、過剰と過少の間で見つけられるのを待っています。







